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キングが家にやってきた 19
「雪生ってお祖父さんと仲が良いよね。お祖父さんとしょっちゅう会ってるみたいだし」
「そんなにしょっちゅうは会ってないけどな。忙しい人だから」
「お祖父さんもSAKURAで働いてるの?」
「働いてるもなにも、祖父はSAKURAの会長だ」
「へー、そうなんだー」
鳴がどうでもよさそうに呟くと、雪生は意表をつかれたみたいに瞬きした。
「おまえらしい反応だな」
何がおかしかったのか口許をふっと緩める。雪生がごく稀に見せる穏やかな笑み。雪生らしくなくてなんだか落ち着かない気持ちになる。ふいに仮面の下の素顔を見せつけられたみたいで。
「なんか変だった?」
世界に名高い航空会社の会長と言われても、あまりに無縁すぎて『へー』しか言いようがないのだが。
「いや、かまわない。俺はおまえのそういうところが――」
雪生はぴたっと言葉を止めた。自分で自分にびっくりした、という表情で。
「どうかしたの?」
舌でも噛んだのかな、と思って雪生を見つめると、二本の腕がすっと伸びてきた。
「えっ、なに――って、いでででででで!」
容赦のない力で両頬を引っ張られ、鳴は叫び声を上げた。雪生に頬を抓られるのは慣れている。慣れてはいるが痛いことには変わりないし、だいたい頬を抓られるような真似をした覚えはない。
「いきなり何するんだよ! どうかしたのって訊いただけだろ!」
鳴が涙目で頬をさすりながら抗議すると、今度は両手ごと頬をがしっと押さえこまれた。身構える暇もなかった。整うだけ整った顔が近づいてきて、唇が唇に触れた。
柔らかな唇の感触。しっとりしたビロードみたいな。
(って、俺、ビロードがなんなのかよくわかってないんだけど――いやいやいやいや、今はそんなことはどうでもよくって!)
いったい全体なぜ雪生にキスされているのか。頬を抓られる覚えもなければ、キスされる覚えもない。
雪生は鳴から手を離すと、ベッドからすっと立ち上がった。
「もう寝る」
そう言い捨てると、さっさと布団に潜りこんで鳴に背中を向けた。
「……………………」
わかってはいたがなんという傍若無人な人間だろうか。人の頬をミクロ単位で伸ばした上にキスまでしておきながら、釈明のひとつもせずに寝の体勢に入るとは。
(いったい俺をなんだと思って――って、奴隷ですよね、はい。知っていますとも)
奴隷が相手なら何をしてもいいと思っているんだろう。いや、それにしたって暴力を振るうのはまだわかるが、キスしてくるのは意味がわからない。それも一度ならず何度も何度も。
キスなんて普通は好きな人にしかしないものなのに。
鳴の脳裏に一枚ずつ丁寧に写真をながめていた雪生の姿が浮かび上がった。その次に浮かび上がったのは、鳴と陽人の写真を見つめていた雪生の表情だ。まるで嫉妬しているみたいだ、とあのとき思ったのだ。
(ひょっとして雪生って俺のことが好きだとか――って、ないないないない! あるわけないでしょ! 何考えてんの、俺!?)
思い上がった考えのせいで一気に頬が熱くなる。鳴は恥ずかしさのあまり顔を両手で押さえながらベッドの上を転がった。
「うわっ!?」
しまった。勢い余ってベッドから飛び出してしまった。
鳴の身体はどさっと音を立ててベッドの下に転がり落ちた。
「……何をやってるんだ、おまえは」
鳴に上からのしかかられる格好になった雪生は、ドライアイスよりも冷ややかな眼差しを向けてきた。
誰のせいでベッドから転がり落ちたと思ってるんだ、と文句を言いそうになるのを、鳴はぐっと堪えなくてはならなかった。
雪生のせいだ、と言ってしまったら、どうして俺のせいなんだ、と雪生は訊いてくるだろう。
『ひょっとして雪生って俺のことを好きなのかと思ったら、むちゃくちゃ恥ずかしくなって転がらずにいられなかった』などと打ち明けたらどうなるのか。
冷笑や冷眼を向けられるくらいならまだいい。下手したら侮辱罪で斬り捨てられるかもしれない。
「あはははははははは……」
鳴は背中に冷や汗を掻きながら、どうにか笑ってごまかしたのだった。
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