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キングが家にやってきた 23
鳴君が握ってくれる、と言えば聞こえはいいが、要は奴隷の仕事として握らされているだけだ。鳴も食べるんだからそれくらいどうでもいいが。
「じゃあ、時間のあるときにおにぎり屋さんにいってみる?」
雪生は鳴の言葉に少し考えこんだが、
「いや、いい。ショーケースにおにぎりがずらりと並ぶ光景は見てみたいが、別に買って食べたいわけじゃない。買うつもりがないのに店にいくのは迷惑だろう」
「なんで? いっぺん買って食べてみればいいじゃない。いろいろあって面白いよ」
しかし、雪生の気持ちは変わらないようだった。おにぎり専門店と聞いてあんなに食いついてきたのに、よくわからない人だ。
「……あのさ、さっきから気になってるんだけど。なんでそんなににやにやしながらこっちを見てんの?」
鳴は祖父に向かって言った。
史高は先ほどからにやついた笑みを浮かべて鳴をながめている。いくら敬愛する祖父とはいえ感じが悪いことこの上ない。
「ん? このごろ表情筋が緩みがちでな。歳のせいだな」
「ふうん……?」
そういえば昨夜もこんな表情で鳴を見ていたような。あれは確か鳴の初恋の話をしていたときだったか――
不意に聞き覚えのあるクラシック音楽があたりに響き、鳴の思考は中断した。
「わかった、すぐにいく」
どうやら雪生のスマートフォンの着メロだったらしい。雪生は通話を切ると、猫科の動物を思わせるしなやかな動作で椅子から立ち上がった。
「そろそろ出かけてきます。夕方までにはもどります。お茶、ごちそう様でした」
雪生は流しまで湯呑を運ぼうとしたが、途中で成美が受け取った。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「俺、そこまで送っていくよ」
鳴は雪生と共に玄関を出た。途端にマルガリータが尻尾をふりふり飛びついてくる。
「ごめんな、マル。雪生を見送ったら散歩にいってやるから、もう少し待ってて」
「朝の散歩ならもういったぞ」
「え? いつの間に」
「おまえがよだれを垂らして惰眠を貪っている間にだ」
雪生はひんやりした眼差しを向けてきた。客人を放って眠りこけていたのは悪いと思うが、鳴が寝坊したのは雪生にだって責任がある。
(そうだった。すっかり忘れてたけど、雪生は陽人に恋してるかもしれないんだった)
思い出すやいなや胸の中がどよんと澱んだ。悪いものをうっかり呑みこんでしまったみたいに。
(……なにこの気持ち。雪生が誰を好きになったって俺には関係ないのに。いや、相手は俺の親友なんだから関係あるな)
親友の幸不幸がかかっているのだ。心配のあまり胸がもやもやするのも当然だ。
それに雪生が鳴の友人に恋したと知られたら、遊理に比喩でなく八つ裂きにされるかもしれない。うっかり想像してしまい、鳴はぶるっと身震いした。
「あれ、車は?」
てっきり家の前までベンツが出迎えにきているものと思ったのに、門の向こうにはベンツどころか三輪車すら停まっていなかった。
「少し離れたところで待つようにいってある。鳴、おまえ、俺がSAKURAの人間だということを家族に話してないんだろ」
「え、あ、うん。そのほうがお互い気を遣わなくていいかなーって」
「その気遣いを無駄にしないためだ」
傲岸不遜極まりないご主人様だが、鳴の心遣いを汲むくらいの思いやりはあるようだ。
見覚えのあるベンツは家から百メートルほど離れたところに停まっていた。
「今日はどこにいくの? また何かのパーティー?」
「いや、今日はユグドラシルのプレオープンに招待されている」
ユグドラシルというのは近ごろニュースで話題になっている、近日オープン予定の複合型商業施設の名前だ。
きっとまた芸能人から政治家まで、錚々たる面々が呼ばれているんだろう。この少年は当然のようにそこへ招待される立場にあるのだ。
「誰でもいいから芸能人に会ったらサイン――」
「じゃあ、いってくる。また夕方にな」
雪生は返事もせずにベンツに乗り込み、鳴の前から走り去った。
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