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キングが家にやってきた 30
「誰かに何か言われたの?」
「これが唐揚げのおにぎりか。中身が大きすぎて少しはみ出てるな」
雪生は皿の上からおにぎりをひとつ手に取るとしげしげとながめた。
……どうやら雪生には常識だけではなく話の脈絡というものもないらしい。まあ、うすうす気づいていたが。
「えっと、そうだ、お茶を淹れようとしてたんだ。雪生、そこに座って待ってて」
しかし、雪生はそこに立ったままおにぎりをひと口囓った。
「……なるほど、これは美味いな」
あれ、と思った。台所の手前に立っておにぎりを食べている雪生を見ていたら、何かを思い出しそうになった。こんな光景を前にも見たことがあるような――
ずっと昔、遠い遠い昔に……――
「っ、ておい!」
「どうしたいきなり」
どうしたもこうしたもない。鳴が思い出せそうで思い出せない記憶を必死でつかまえようとしている間に、皿の上のおにぎりはひとつだけになっていた。
「なんっで人のぶんまで食べちゃうの! 三つずつって言ったよね!?」
「おまえがマヌケな顔で物思いに耽っているから邪魔をしては悪いと思ったんだ」
雪生はいつも通りのしれっとした表情だ。憂鬱な顔をされるよりはずっとマシだが、腹が立つことにかわりはない。
「だからっておにぎり食べることないでしょ! 俺のおにぎり返してよ!」
「食い意地の張った奴だな。今度、買って返してやる」
人のぶんまで食べた人間に食い意地どうこう言われる筋合いはない。
「ほら、さっさと食べろ。食べたら勉強の続きに取りかかるぞ」
雪生は残りのおにぎりを口に入れると、最後のひとつとなったおにぎりを鳴に差し出してきた。忌々しい思いを噛みしめながらおにぎりを受け取る。
「鳴」
鳴が大きく口を開けておにぎりにかぶりつこうとすると、雪生が名前を呼んだ。
「俺はこの連休が終わるまでに覚悟を決めることにした。人生を半ば諦める覚悟だ」
「覚悟? 人生を諦める?」
「だから、おまえも速やかに覚悟を決めておけ」
「あのさ、話がいきなりすぎて意味がわかんないんだけど。覚悟って何の覚悟だよ。人生をあきらめるにはまだちょっと早すぎない?」
「食べないなら俺がもらうぞ」
雪生の手がすっとおにぎりに伸びてきて、鳴は慌てて身体ごと避けた。
「食べないならって、雪生が話しかけてきたんでしょ!」
おにぎりにかぶりつくと、白米と海苔と醤油の香り漂う唐揚げによる素晴らしいコラボレーションが口いっぱいに広がった。
けっきょく鳴の疑問はほとんどすべて逸らされて、何ひとつ解消していない。
どうして人の顔を見つめて憂鬱そうに溜息を吐いたのか。好きな人って誰なのか。家の会社に就職したくない理由はなんなのか。覚悟ってどういう意味なのか。
「……雪生ってさ、つくづく猫科の生き物だよね。自由気侭っていうか我が侭っていうか」
「おまえはつくづくマヌケ科の生き物だけどな。マヌケ綱、マヌケ目、マヌケ科、マヌケ属、学術名ソウママヌケナルだったな」
「だったな、って――普通に哺乳類ですけど!?」
鳴が怒鳴って文句を言うと、雪生は屈託のない顔で笑った。そんな顔を見せられるとマヌケ呼ばわりくらい『まあ、いっか』という気持ちになってしまう。
鳴はそんなお安い自分自身に溜息をひとつ吐くと、残りのおにぎりをひと口で食べたのだった。
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