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キスの嵐 6

「桜、おかえり。理事長との話し合いは上手くいった?」  太陽は屈託のない笑顔を雪生に向けた。 「ああ、球技大会の優勝クラスに褒賞を出す許可をもらった。予算は百万だそうだ」 「ひゃ、百万!?」  思わす素っ頓狂な声が出た。たかだか球技大会ごときで百万円をポンと出すとは。この学園の金銭感覚は異常だ。狂ってるとしか言い様がない。 「あまり大きな額じゃないが、ただの一行事だからな。出してもらえただけありがたいというものだ。鳴、アンケートは完成したのか」  雪生の目がこちらを向いた。本日、鳴に与えられたのは『球技大会の褒賞はなにがいいか』を全校生徒に問うためのアンケート作りだ。  遊理に絡まれたり、太陽と会話をしたりで、アンケート作成はまったくもって進んでいない。 「いや、まだ……」 「アンケートもろくに作れないのか、おまえは。マヌケの上に無能とは悲惨極まりないな」  雪生は呆れた口調でつけつけと言ってきた。  果たしてこの男の中に鳴に対する友情が一滴でもあるのか。甚だ疑わしい。 「そんなこと言ったって……。ここのみんなが喜びそうなものなんて、庶民の俺にはよくわかんないよ」 「ひとりにつき何十万円もかけられるわけじゃないからな。おまえの庶民感覚に頼ろうと思ったんだ」  優勝クラスに百万円は庶民感覚からじゅうぶんほど遠いのだが。それをこのブルジョアに説いても無駄だということは短いつき合いでよくわかっている。 「鳴、おまえなら何が嬉しい?」 「えーっと、そうだなあ……。うまい棒百本とか?」 「うまい棒? なんだそれは」 「うまい棒知らないの? 昔からある駄菓子だよ。あんなに有名であんなに美味しいものを知らないなんて……」  金持ち過ぎるというのもちょっと可哀想だな、と鳴はひそかに同情した。 「美味いと名前についているからには、それ相応の美味さなんだろうな」 「いや、美味いことは美味いけど、一本十円だからあまり期待されても……」 「一本十円!?」  最後の科白は雪生と太陽同時だった。ふたりして目を丸くして鳴を見つめてくる。 「そんな安価な菓子がこの世に存在するのか?」 「十円って……。包装代だけで赤字にならないの?」  このセレブ共め、と心で毒づく。駄菓子屋につれていったらあまりのデフレっぷりに失神するんじゃなかろうか。 「そのうまい棒とやらを褒賞の予算で買うと十万本だな。ひとり頭三千本弱といったところか。いくら美味いとはいっても多過ぎないか?」 「いや、うまい棒はただの一例で……。それに百万円きっちり使い果たさなくても――あ、そうだ!」  全校生徒が大喜びしそうなアイデアが思いつき、鳴はポンと手を打った。 「キングと一緒に写真が撮れる権利、っていうのはどう? 春夏冬の生徒ってみんなキングが大好きだし、褒賞のためにはりきっちゃうと思うんだけど」  雪生と太陽は顔を見合わせた。 「……それはいいアイデアかもしれないな」 「百万あればプロのカメラマンも呼べるしね。アルバムもそれなりの装丁にできそうだな」  写真なんて手持ちのスマホでいいだろう、と思ったが、お坊っちゃまにはお坊っちゃまなりの拘りがあるんだろう。  とりあえずアンケートはどうにか形になりそうだ。鳴はホッとするのと同時に雪生に文句があるのを思い出した。 「あ、そうだ。雪生、如月先輩にうちに遊びにきたこと話したでしょ。余計なこと言わないでよ。ただでさえ如月先輩には目の敵にされてるんだから」 「如月には何も言っていない。如月が俺の予定を勝手に調べたんだろう。何か言われたのか?」  鳴は口ごもった。言われたことは言われたが、雪生に告げ口するのはちょっと可哀想な気がする。 「いや、たいしたことじゃないから……」 「さっきの相馬君、凛然としていてかっこよかったよ。その目で見られなくって残念だったね」  太陽は鳴と雪生をにこにこしながら交互に眺めた。 「このマヌケ世界選手権最優秀選手がかっこいい?」  雪生は世にも不可解な言葉を聞いた、という表情だ。確かに太陽はいささか褒め過ぎだが、雪生の人を小馬鹿にする科白は科白で腹立たしい。

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