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キスの嵐 9

 自習時間が近づき、鳴はいつものように机へ向った。毎日こつこつお勉強なんて鳴の柄ではないのだが、中間テストをがんばらなくては胃袋に厳しい罰が待っている。  気合を入れるぞ、と顔つきを引き締めたのだが―― 「今日の自習は『記憶力の強化』に重点を置くことにする」 「記憶力の強化?」 「いくら勉強に励んだところで、ザルのような記憶力では意味がないからな」  隣に座った雪生は腕を組んで鳴を見ている。  雪生の言っていることはもっともだが、いったいどうやって記憶力を鍛えるつもりなんだろう。 「今日の課題は鳴、おまえの初恋の相手についてだ」 「初恋の相手……って言われても。前にも言った通り、ほとんどなんにも覚えてないんだけど」 「覚えていないんじゃない。思い出せないだけだ。古い記憶を呼び覚ますことで、おまえの記憶力は活性化されるはずだ」  なんだかもっともらしいことを言っているが、初恋の相手を思い出したくらいで記憶力が飛躍的にアップするものだろうか。いまいち胡散臭い。 「いや、でも、あれからがんばって思い出そうとしてるんだけど、キスしたことと泣き顔くらいしか思い出せないんだよね」 「それは本気で思い出そうとしていないからだ。今日は死にものぐるいで思い出してもらう。もしも思い出せなかったら――」 「思い出せなかったら?」 「一週間朝食抜きの刑に処す」  雪生は無慈悲な王様のように言い放った。 「はあっ!?」  がたんと椅子が大きく揺れる。鳴は思わず立ち上がっていた。 「朝ごはん抜きとかひどすぎない!? 朝はしっかり食べないと一日の元気が出ないんだよ!? 朝ごはんの重要さは偉い学者さんたちだってこぞって訴えてるじゃない! そんなの虐待だよ、虐待! 俺に死ねと言ってるのも同然だよ!」  雪生は鳴が全身全霊で文句を叫ぶのを無言で聞いていた。 「朝食抜きはそんなにも嫌か?」 「嫌に決まってるでしょ! ここじゃごはんを食べるくらいしか楽しみがないんだから!」 「ずいぶんとわびしい人生だな」  涼しげな顔つきの雪生が憎たらしい。誰のせいで友人がたったひとりしかいない学園生活を送っていると思っているのか。渡る世間は鬼ばかり。学園内には敵ばかり。それが鳴の現状だ。  おまえだ、おまえのせいだ! と指を突きつけてわめいてやろうかと思ったが、そんなことをしたところで雪生は一切のダメージを受けないだろう。体力と気力の無駄遣いだ。 「じゃあ、罰を変えてやろう」 「いや、変えるんじゃなくて罰そのものをなくして――」 「思い出せなかったら、全校生徒の前でおまえにキスすることにする」 「な――」  鳴は雪生の整うだけ整った顔を凝視した。視線を受けた雪生は綺麗な微笑を浮かべた。 「それなら文句ないだろ?」 「あるわ! むっちゃあるわ!」 「文句の多い奴だな。記憶を取り戻せば済む話じゃないか。文句を口にする前に少しくらい努力してみせたらどうだ」  鳴の初恋なんて雪生にはどうだってよさそうなものなのに。なんだって思い出せないくらいでハードな罰を受けねばならないのか。  理不尽にもほどがある。

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