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キスの嵐 10
鳴は机に肘をつくと、握り合わせた拳に額をのせた。
(思い出せ、思い出すんだ、俺。じゃないと全校生徒の前で雪生とキスという世にも恐ろしい罰が待っているんだぞ……!)
全校生徒の前で雪生にキスされたらどうなるか。きっとその場で袋叩きにされ、全身の皮を剥かれて火刑に処されるに違いない。想像しただけで全身ががくがくぶるぶるしてしまう。
いや、いくら雪生でもほんとうにそんな真似をするだろうか。人前で、それも全校生徒の前で奴隷とキスだなんて、雪生にとっても恥ずかしい行為なのでは……?
(……希望的観測はよすんだ、俺。一緒の部屋で暮らし始めてから約一カ月。この男に恥じらいを感じたことが一度でもあったか?)
いや、ない。
「まだ思い出せないのか? よっぽど全校生徒の前で俺にキスされたいんだな」
「うるさい。いま必死で思い出そうとしてるんだからちょっと黙ってろ」
鳴は額を拳につけた格好で雪生をギッと睨みつけた。涼しげな横顔をこれほど憎らしく思ったことはない。
思い出せ、思い出せ、幼いころに出会った少女を。鳴だってあの子のことはちゃんと思い出したいのだ。ほんとうにあの子が初恋の相手なのか、どうして泣いていたのか、どうしてキスしてしまったのか。
「――あっ!」
思わず声が出た。光が閃くように、ひとつのイメージが脳裏を過ぎったからだ。火事場の馬鹿力とよく言うが、人間は追いつめられると思いがけない能力を発揮するものらしい。
かすれた記憶の中、鳴は大木に登って遥か高みからひとりの少女を見下ろしている。
――どう、すごいでしょ。ここまで登ってこれる?
映像と同時にあのときの感傷まで蘇り、胸の中いっぱいに甘酸っぱいものが広がった。
ああ、そうだ。あの子にいいところを見せたくって頑張って木に登ったんだった。鳴君、すごいね。そう言われたくって。
「なにか思い出したのか?」
隣に目を向けると、思いがけず強い視線とぶつかった。なんとなくぎくりとする。
「えっ!? あ、うん。ちょっとだけ思い出したよ。大きな木に登って、あの子を見下ろしてるところ」
「それだけか?」
「それだけだけど……」
それだけでも鳴には充分だった。胸に蘇った甘くてほんのり切ない感傷は、あの子が初恋の相手だと鳴にはっきり教えてくれたから。
(雪生に伝えたほうがいいのかな。やっぱりあの子が初恋の相手だったって。いや、でも――)
そんなことを雪生に言うのはなんだかむちゃくちゃ恥ずかしい。それに話したところでどうせ馬鹿にされるだけだ。
「その大きな木はいったいどこにあった木だ」
「えっ? どこのって――どこだろう」
「おまえはどうして木に登っていたんだ」
「え、えっと、なんとなく登りたくなったから……?」
「おまえのことを俺に訊いてどうする。記憶はリンクしているものなんだ。ひとつ思い出したらそこから数珠つなぎに思い出せる。さあ、思いだしてみろ。いったいそこはどこだったのか。どうして木に登ったのか。その後どうしたのか。おまえとその子はどんな関係だったのか」
雪生は鬼教官さながらに言い放ったが、思い出せと言われて思い出せるほど鳴の脳はシンプルにできていない。
「そんなことを言われても……。かんたんに思い出せたら苦労しないよ。っていうかさ、雪生狡くない!?」
鳴は雪生を睨みつけた。そこはかとなく腹が立ってきたからだ。
雪生はいつもいつも一方的に訊いてばかりで、己のことはろくに話そうとしない。太陽はふたりを友達だと思うと言ってくれたし、鳴だってそう思っている。
それでいて距離を感じるのは、雪生が自分自身についてほとんど何も語らないからだ。
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