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借金よ、こんにちは 2

「鳴、今から買い物にいくからつき合え」  その日の生徒会業務が終わり、雪生と共に校舎の昇降口へ向かっていたときのことだ。雪生は鳴を見ようともせずに言った。 「買い物?」  夜食の食材の買い出しだろうか。そういえばそろそろ米が尽きてきた。おにぎりの具材ももう少し揃えたいところだ。  ツナ缶とマヨネーズでツナマヨ、偶には奮発して明太子、渋いところで昆布の佃煮なんていうのも良さそうだ。  夕刻の校舎は妙にしん……としている。防音がしっかりしているのかグラウンドから部活中の生徒の声が響いてくることもない。ひたひた、とふたりの足音だけが響く。 「うん、わかった。じゃ、着替えたらすぐに――」 「着替える必要はない。すでに校舎の前まで迎えはきている」 「えっ? まさかそこのスーパーにいくためにわざわざ車を呼んだの?」  なんというものぐさだろうか。そんな調子では若くして足腰が弱ってしまいかねない。鳴は呆れた気持ちを隠さずに雪生を見つめたが、 「誰がいつスーパーにいくと言った。俺たちがこれから向かうのは銀座だ」 「銀座? 銀座って物価の高い東京の中でもひときわお高いことで有名な、あのお金持ち御用達の銀座?」 「金持ちの御用達かどうかは知らないが、その銀座だ」  埼玉で暮らしてきた鳴は東京へ遊びに出たことは数え切れないほどある。が、銀座に足を踏み入れたことは一度もない。銀座イコールお高いの公式が頭の中にインプットされているからだ。 「お米なら近くのスーパーでじゅうぶんだと思うけど。銀座でしか買えないブランド米でもあるの?」 「誰がいつ米を買いにいくと言った。俺が買いにいくのはスーツだ」 「スーツ?」  気がついたときには昇降口に着いていた。ふたりはそれぞれ靴を履き替えてから校舎を後にした。 「どうしていきなりスーツなの。雪生ならスーツなんて売るほど持ってるんじゃないの」  鳴は雪生の隣に並びながら改めて問いかけた。 「次の日曜日にSAKURAグループ会長の誕生日パーティーが開かれる。そのパーティーのためのスーツだ」 「SAKURAグループの会長って……それって雪生のおじいさんだよね。へー、雪生のおじいさん誕生日なんだ。おめでとうございます、って伝えておいてよ。わざわざ誕生日パーティーを開くなんてさすがはおっきな会社の会長さんだね」  世界に名高い大企業のパーティーだ。果てしなく盛大で、果てしなく豪華な料理が並ぶに違いない。テーブルの隅から隅まで並べられたご馳走の数々が脳裏へ浮かび上がる。 「きっと料理もすごいんだろうね。キャビアとかトリュフとか豚の丸焼きとか大トロとか……」  想像しただけで思わず唾をごくりと呑みこんでしまう。 「おまえの頭の中には食べることしかないのか」 「パーティーの醍醐味は料理でしょ。雪生は食べ慣れてるからいいけどさ、庶民の俺は一生に一度お目にかかれるかどうかだよ。あ、そうだ! パーティーの料理をタッパーにつめて持って帰ってきて――」 「断る」  雪生はたったひと言で鳴の切実な願いを斬って捨てると、校門の手前に止まっている白いベンツに向かって歩いていった。  鳴はその後ろ姿を恨めしい思いで見つめた。庶民にとってパーティーのご馳走がどれほどの憧れなのか、お坊ちゃまオブお坊ちゃまの雪生にはわからないんだろう。 (……まあ、しかたないか。パーティー会場でタッパに料理をつめてる雪生なんてシュール過ぎるし)

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