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庶民のくせに生意気な 3
(そういえば今日はおかしな夢を見たな……。雪生と一緒に宇宙飛行士になった夢)
どうして宇宙飛行士の夢を見たのかは明白だ。
宇宙飛行士になりたい。
昨夜、雪生はそう言った。子供のころからの夢なんだ、と。
雪生の秘密を打ち明けてもらったという事実に、心の内側がむずむずとくすぐったくなる。あの雪生が己の夢――それも一旦は諦めていた夢のことなんて、易々と語って聞かせるわけがない。
鳴を友達だと思っているからこそ聞かせてくれたのだ。
(でも、なんだって途中から初恋の子に変わったんだろ……。それにあの川、記憶にあるようなないような……)
ひょっとしたら昔、あの川で初恋の子と遊んだのかもしれない。幼少のころの想い出が夢となって現れたのかも――
あの川が実在するのなら、それはいったいどこにあるのか。それがわかったら初恋の少女の手がかりがつかめるんじゃないだろうか。
どうにか思い出そうと考えてみたものの、想い出は淡い霧よりもおぼろげではっきりしない。
(母さんたちに訊いてみようかな。子供の俺がひとりで山奥の川に遊びにいった、ってことはないはずだから。親に訊けばきっとなにかわかるはずだ)
「相馬君、おはよう」
鳴が椅子に座って物思いに耽っていると、この学園で唯一の友人――瀬尾朝人が声をかけてきた。いや、雪生という友達ができたからもう唯一じゃないのか。
「あ、瀬尾君。おはよう」
「明日から中間テストだね。勉強してる?」
朝人は前の席に腰かけると、椅子ごと振り返って訊いてきた。
「してるなんてものじゃないよ。毎朝毎晩、みっちり雪生にしごかれてるんだから。学年で十位以内に入らないと、半年間夕食抜きって言われてるんだよ。あの人、キングじゃなくってサタンだよ、サタン」
「学年で十位……。それはちょっと厳しいね」
朝人の目に同情がこもる。
たったひとりでも鳴の境遇の悲惨さに共感してくれる人がいる。それだけでずいぶんと救われた気持ちになる。
「十位以内に入れそうなの?」
「わからないけどやるしかないよ。夕食抜きなんて俺にとっては死にも等しいんだから」
中学時代までの鳴の成績はいたって平凡だった。テストの点数は平均点。通知表は三と四のオンパレード。
が、しかし、高校に入学してからというもの雪生に勉強を見てもらっているだけあって、授業の理解度はぐんとアップした。この調子ならそこまで悪い結果にはならないだろう。十位以内に入れるかどうかはともかく。
「がんばってね、相馬君。なにもできないけど心から応援してるから。……あ、もしも十位以内に入れなかったら僕の夕食を少しわけてあげるよ」
「せ、瀬尾君……!」
鳴は思わず立ち上がると、机に身を乗り出して朝人の肩をがしっとつかんだ。
「ありがとう、瀬尾君! 君の友情は飢え死にしたって忘れないよ…!」
「やだなあ、大袈裟だってば」
朝人はあははと笑ったが、不意に笑顔を消すと教室の出入り口へ目を向けた。
「ところであれ……」
「ああ、あれね……」
鳴もちらりと視線を向ける。
教室のドアの影に家庭用ビデオカメラを手にした上級生――宮村の姿がある。どうやら未だに鳴の観察を続けているらしい。
「いつまで続けるつもりなのかな……」
「さあ……。雪生の奴隷に返り咲くまで、かな……?」
このごろではカメラで盗撮されるのにすっかり慣れてしまった。が、無意味な努力を目の前で続けられるのは心苦しいものがある。
いくら観察したところで鳴は平凡中の平凡。金太郎飴のようにどこを切ってもひたすら平凡なのだ。雪生が鳴を奴隷に選んだ理由がわかるはずもない。
どうすればそれを宮村にわかってもらえるのか。
密かに頭を悩ませる鳴だった。
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