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パンク少年、メイド喫茶へゆく 4
いったいこれからどうなるのかと嫌な緊張感を覚えながら、鳴はメイド喫茶『Moeえんじぇる』の前に立った。
店は秋葉原の雑居ビルの五階にあった。雑居ビルのほとんどの店舗がメイド喫茶やコンセプトカフェで占められている。いわばオタクのオタクによるオタクのためのビルである。
「おかえりなさいませ、ご主人様!」
恐る恐るドアを開けると、メイドたちが一斉に振り返り、アニメキャラさながらの甲高い声で新しい客、もといご主人様を出迎えた。
翼は猫に見つかった鼠のようにびくっと肩を竦めると、鳴の後ろにささっと隠れた。
メイドさんは人間じゃないと言っていたのに、対人間同様に怯えているのはなぜなのか。
「あのー、乙丸先輩、大丈夫ですか? やっぱりメイド喫茶はやめて寮に帰りません?」
鳴はいま開けたばかりのドアから出ていこうとしたのだが、
「ご主人様、こちらへどうぞ」
目の前に立ったメイドから語尾にハートマークがついていそうな声で促されてしまうと、それを振り切って出ていくだけの勇気はなかった。
鳴と翼は案内されるままに席へ座った。まずは店のシステムについて説明があり、それから注文について訊かれる。
「ご主人様、今日は何をお召し上がりになりますか?」
「え、えっと、ど、どうしよう……」
メニューをながめてみたものの「あちゅあちゅ♡ミートスパ」だの「ラブリー♡くまたんハンバーグ」だの「魔法をかけて♡パンケーキ」だのというネーミングのインパクトにやられて、食欲がまったく湧いてこない。この間のパーティーの胃もたれが今ごろおとずれたんだろうか。
「……お絵描きオムライスとふーふー♡コーヒー。……写真つきで」
意外なことに翼はあっさりとオーダーを決めた。
「かしこまりました、ご主人様。お写真は後からお呼びしますので、その際にメイドをご指名くださいね。そちらのご主人様はどうなさいますか?」
「あ、あの魔法のかからないパンケーキは――」
「ありません。我が家のパンケーキはみーんなもれなく魔法がかかっちゃうんです」
にっこりという文字が頭の上に浮かんでいそうな笑顔で言われてしまった。
(……よし! せっかくメイド喫茶にきたんだから、メイド喫茶でしか食べられないものを食べるか。こうなったら毒を食らわば皿までの精神だ!)
「じゃあ、魔法をかけて♡パンケーキと恋する♡ミックスジュースでお願いします!」
「かしこまりましたぁ」
メイド喫茶といってもメイドが隣に座ってくれるわけではない。当たり前の話だが。
メイドが立ち去ると、テーブルには鳴と翼のふたりが取り残された。何度目かの沈黙がおとずれる。
気まずい。翼はなんとも思っていないのかもしれないが、鳴は饒舌ではないが無口なタイプでもない。沈黙はあまり得意じゃない。
「あ、あの、乙丸先輩って生徒会の他に軽音楽部にも入ってるんですよね」
翼はメイドに向けていた視線を鳴に移した。その瞳にはいかなる感情も浮かんでいない。
「……やってる」
「乙丸先輩ってボーカルとギター担当なんですよね、前に生徒会長から訊いたんですけど」
「…………」
「え、えーっと、ボーカルってことは歌うんですよね。ワンフレーズとかじゃなくフルコーラスで。乙丸先輩がパンクロックをまともに歌ったりして大丈夫なんですか? 喉やられちゃいません?」
物静かなバラードならともかく、パンクロックということはそれなりに激しい歌ということだ。熱情的にシャウトする翼なんて、想像力を限界まで駆使しても思い浮かばない。思い浮かぶのはスタンドマイクの前で無言のまま立ち尽くす翼の姿だけだ。
「喋るのは苦手だけど、歌うのは好きだ」
翼は小さく笑った。
(うおっ! 笑った笑った! 乙丸先輩が笑った! ちゃんと表情筋あったんだ!)
一学年先輩だが笑うとあどけなさが滲んで可愛らしい。ちょっとだけ翼に近づけたような気がして心が弾んだ。
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