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パンク少年、メイド喫茶へゆく 7

 その日の夕食後のことだった。誰かがドアをノックした。いったい誰だろうと訝しみながらドアを開けると、 「こんばんは。相馬君、今ちょっといいかな」  そこに立っていたのはキングの爽やか担当、一ノ瀬太陽だった。某百貨店のロゴの入った大きな紙袋を片手に提げている。  鳴は太陽の後ろへ目を向けたが、そこには誰の姿もない。どうやら今度は太陽ひとりで訪ねてきたようだ。 「いいですけど……。えーっと、まあ入ってください」  こんばんはもなにもついさっきまで一緒に夕食を食べていたじゃないか、と思いつつ、太陽を部屋へ招き入れる。  鳴が紅茶を淹れて持っていくと、太陽は次から次へと紙袋から箱を取り出した。 「これ貰い物だけどよかったら。翼の奴が相馬君のお菓子を食べ尽くしちゃったから、そのかわりにと思って、家からもらってきたんだ」  一ノ瀬家の貰い物ということはデパートで売ってるような銘菓に違いない。テンションが急上昇する。 「わー! こんなにもらっちゃっていいんですか!? あんなのコンビニやスーパーで買った庶民菓子なのにー。海老で鯛を釣るってまさにこのことですね」  うきうきしながら太陽と向い合せにソファーへ腰かける。  鳴は菓子の箱をざっと点検した。クッキーやバームクーヘンなどの焼き菓子に、チョコレート、かりんとう、どらやきなどなど。これでしばらくは茶菓子に困らずに済みそうだ。 「相馬君、今日はありがとう」  太陽はいささか改まった様子で言った。 「え?」 「翼につき合ってくれて。あいつ、対人恐怖症だから。俺や家族以外とふたりで出かけるなんてまずないんだ」  そういえば人間が苦手だと言っていた。それなのになぜ鳴とふたりでメイド喫茶に出向いたのか。今更ながらに謎である。 「相馬君のことは最初から気に入ってたみたいだから、ひょっとしたら仲良くなれるかもって期待してたんだけど」  想像通りだったよ、と太陽は微笑んだ。 「まあ、人畜無害さにかけては自信がありますから」 「人畜無害っていうか、相馬君は人の警戒心を解かせちゃうなにかがあるよね。警戒しても無意味っていうか、警戒するほうが馬鹿みたいに思えるっていうか。桜がルームメイトに選んだ理由がよくわかるよ」  褒められているのか小馬鹿にされているのか。微妙な感じだ。 「でも、よかったよ。翼と相馬君が仲良くなれそうで。俺が傍についていられる間はいいけど、卒業した後が心配だったんだ。相馬君、翼をよろしく頼むよ」 「えっ!? お、俺がですか?」  翼と友人になるのはやぶさかではない。鳴としても望むところだ。が、よろしく頼まれてしまうのはちょっとかなり荷が重い。 「初めて一緒に夕食を食べたとき、翼の奴『食うか?』って相馬君に勧めてただろ。あのときはびっくりしたよ。翼が自分から話しかけるなんて、それも初対面の相手に。バンド仲間にだって自分からはろくに話しかけないくらいなのに」  そういえばあれで翼に対して好印象を抱いたんだった。食べ物をわけてくれる人に悪い人はいない、が鳴の持論である。 「あの、乙丸先輩が対人恐怖症の理由、訊いてもいいですか?」  あれだけのルックスに家柄まで備わっているのだ。幼いころからチヤホヤされてきただろうに、人間を怖がる理由がわからない。きっかけとなる出来事があったはずだ。  人の過去を無闇に暴くのは悪趣味というものだが、翼を頼むというのならもう少し彼について知っておきたい。 「翼は中学生のころひどいイジメにあっていたんだよ。対人恐怖症はそのせいだ」  あっさりした科白だったが、鳴は言葉が出てこなかった。 「もともと大人しいタイプだから目をつけられたんだろうな。翼がやり返すことも、誰かに助けを求めることもできないのをいいことに、かなりひどいことをされたみたいだよ。対人恐怖症もだけど、あのころはろくに物も食べられなくてね。栄養失調寸前までいってしまって、それからはいくら食べても体型がもどらなくなってしまった」  太陽は言葉を切るとティーカップに視線を落とした。  脳裏にふっと浮かんだのは鎖骨の揚羽蝶。火傷痕を隠すために入れたのだと言っていた。痛いよりも哀しかった。翼の声が耳の奥でよみがえった。 「鎖骨の火傷ってまさか――」  太陽は軽く目を見開いたかと思うと、男らしい顔をふっと緩ませた。 「そんなことまで相馬君に話したんだ。想像の通りだよ。煙草の火を押しつけられたらしい」  鳴は絶句した。なんだってそんなひどい真似ができるのか。鳴には、いや、平凡な感性の持ち主には理解不能だ。

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