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平凡少年の躍進 1
雪生が寮にもどってきたのは日曜日の午後八時ごろのことだった。
鳴が食後のおやつを食べていると、ドアが開いて私服姿の雪生が入ってきた。今日も今日とて上下黒一色という格好だ。
「雪生、おかえりー。お父さんたちの反応どうだった?」
鳴が食べかけのクッキーを片手に訊ねると、冷ややかな視線が頬に刺さった。まるで愚鈍極まりない生き物を見るかのような眼差しだ。
つい先日、お互いの友情を確認したはずなのに。雪生の態度には微塵ほどの変化もない。まあ、いきなりフレンドリーになられても不気味と言えば不気味だが。
「ついさっき夕食が済んだばかりじゃないのか? それなのに菓子を貪り食うとか。おまえの七つの大罪は飽食、飽食、飽食、飽食、飽食、飽食、飽食だな」
「律儀に七回言わなくてもいいじゃない。で、どうだったの、親御さんたちの反応は」
雪生は後を継がなくても問題ないというようなことを言っていたが、これほど優秀な人材を果たしてやすやすと手放してくれるのか。鳴はいまいち不安だった。
「……思っていたよりも反応は芳しくなかった。宇宙飛行士になるのは許さない、とまでは言われなかったが。卒業までまだ時間があるからそれまでゆっくり考えなさい。答えを出すのはそれからでも遅くない、と言われてしまった」
案の定だ。
「それでもやっぱり宇宙飛行士を目指したいと言うのなら反対はしないから、とも言われた。要は俺の意志次第、ということだ。……身内ということを抜きにしても、俺のような優秀な人間は貴重だからな。手放したくないのは当然だ」
自分で言うな自分で、と心の中でツッコミを入れる。
雪生は常識だけじゃなく奥ゆかしさも著しく欠けているようだ。とっくの昔に知っていたが。
「その焼き菓子はどうしたんだ。いつもの庶民の駄菓子じゃないな」
雪生はソファーへ腰を下ろすと、クッキーの入っている箱に目を留めた。
さすがは高級菓子だけあって箱にまで高級感が溢れている。鳴の母親なら捨てずに小物入れかなにかにするはずだ。
「ああ、これ? 一ノ瀬先輩にもらったんだよ」
鳴が素直に答えると雪生の眉がぴくっと動いた。
「一ノ瀬に? どうして一ノ瀬が俺の奴隷に菓子をくれてよこしたんだ。まさか俺のいないあいだにこの部屋へきたんじゃないだろうな」
「きたけど……。乙丸先輩と一緒に。俺とちょっと話がしたいって言って。部屋に上げたらまずかった?」
雪生の眼差しに不機嫌の三文字が宿る。
「それでまんまと餌づけされたのか。犬よりも容易いな、おまえは」
「餌づけって。俺に対して失礼でしょ。乙丸先輩が俺の買い置きのお菓子をぜんぶ食べちゃったから、そのお詫びにって持ったきてくれたんだよ。……っていうか雪生って一ノ瀬先輩と仲が悪いの?」
生徒会室でのふたりを思い返してみるが、特に険悪な感じはしない。そもそも太陽を書記長に推したのは雪生だ。友人とまではいかなくてもそれなりに親しいはずなのに。
「仲が悪いわけじゃない。俺は俺の奴隷に勝手に食べ物を与えないで欲しいだけだ。おまえの腹がますます肥えたらどうするつもりなんだ。奴隷の健康管理もキングの役目の内なんだぞ」
「ますますって。人をデブみたいに言わないでくれる? 俺の体重は身長に対してごくごく平均値だからね」
「よし、わかった。明日から『餌を与えないでください』と書いた紙を背中に貼っておけ」
ちっともわかっていないと思ったが、それ以上はツッコまないでおく。雪生相手にツッコんでいるとキリがない。
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