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ファーストフレンド 7

 月臣はこれから仕事にもどらないとならないらしく、鳴たちを寮へ帰すためにタクシーを呼んでくれた。 「……雪生のお兄さんって雪生のことがよっぽどコンプレックスなんだね。今日でちょっとは理解してくれたんならいいんだけど」  鳴はタクシーのシートに深くもたれながら呟いた。が、返ってきたのは世にも冷淡な眼差しだった。 「おまえはほんとうに人たらしだな」 「ひとたらし? って、なにそれ。聞いたことのない言葉なんだけど」 「俺がちょっと目を離した隙にあの乙丸と友人になったかと思ったら、今度は俺の兄か? そうやって次から次へ人を誑かしてどうするつもりだ」  どうやら「人たらし」というのは「女たらし」「男たらし」の同類語らしい。  誰が誰をいつたらしたというのだ。ただお友達になっただけなのに、人聞きが悪いにもほどがある。 「人聞きの悪いこと言わないでくれる? 乙丸先輩は一ノ瀬先輩に頼まれたっていうのもあるし、雪生のお兄さんは悪いこと言っちゃったみたいだから、なんとかフォローしようと思っただけだよ」  まさかほんとうにIDを交換してくれるなんて思いもしなかった。まあ、恐らく今日の文句を送ってよこしたいだけだろうが。  タクシーはすっかり日の暮れた東京の街をなめらかに走っていく。 「まったくおまえっていう奴は……」  雪生は頭が痛いと呟きながら額を押さえた。 「えっ、風邪でも引いたの? 大丈夫?」  心配して言ったのに、返ってきたのはまたしても世にも冷やかな眼差しだった。雪生の前世は氷の女王だったに違いない。 「鳴、例の件はどうなったんだ?」 「例の件?」 「おまえの初恋の相手だ。あれから少しは思い出したのか」  話題の切り替えがどうにもこうにも唐突だ。どうやらアメリカの大学では話術までは教えてくれないらしい。 「あ、それがさ、この間また夢に出てきたんだよ、初恋の子が。俺さ、その子と川で遊んだことがあるみたいなんだ。……って、どうかしたの」  いささかたじろいでしまったのは雪生がやけに真摯な瞳で見つめてきたからだ。  雪生は初恋の子の話になるといつも妙に食いついてくる。なにがそこまで雪生の興味を惹きつけるのか、鳴にはよくわからなかった。思いつく理由はただの興味本位。もしくは鳴をからかうのにうってつけのネタだから。そのくらいだ。 「それではっきり思い出したのか? ……いや、思い出してないんだな。どうせその川がどこの川なのかも、いつどうしてその子と川で遊んだのかも、さっぱり思い出していないんだろ」 「うん、まあ、そうだけど……。そういえば、テスト勉強に明け暮れていたせいですっかり忘れてたけど、母さんに訊いてみようと思ってたんだった。子供のころどこかの川に遊びにいかなかったかって」 「どうしてそれを後回しにするんだ。テストよりも大切なことだろう」 「いや、そこまででも……。遠い昔の恋よりも、目先の夕食のほうが大事――ちょっと、怖い顔で睨むのやめてくれない?」  会話をしているうちに雪生の目つきがどんどんすさんできているのは気のせいだろうか。  雪生はシートにもたれ直すと、深く長い溜息をついた。 「……まあ、いい。中間テストも終わったし、これで初恋の相手を思い出すことに専念できるな」 「そうだね……」  初恋の子と再会できたら勝手にキスしたことを謝りたい。その思いが消えたわけじゃないが、初恋の子が誰なのかわかったとしても、再会できる可能性は低いだろう。  せめてどこで暮らしているのかがわかれば、謝罪の手紙を送れるのに。いや、もう十年近く会っていない上に、勝手にキスしてきた相手から手紙が届くのってどうだろう。ストーカーチックというかちょっとしたホラーじゃないだろうか。  手紙じゃなく直接会いにいったりしたら―― (ちょっとしたじゃなく本格的なホラーかも……)

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