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ファーストフレンド 8
それから二週間後。日本列島は梅雨に突入した。
しとしとと降り続く雨は気持ちまで湿っぽくさせたが、平和といえば平和な日々が続いていた。
事件は梅雨の晴れ間に起こった。
その日の放課後、鳴は寮へ続く道をめずらしくひとりで歩いていた。生徒会の業務が終わり、寮へもどっている途中で学校に宿題のプリント忘れたのを思い出したのだ。今はふたたび寮へもどっているところだ。つき合わせるのも悪いので雪生には先に帰ってもらった。
(……この道、こんな風景だったっけ?)
隣に雪生がいないというだけで、通い慣れた道がなんだかいつもと違って見える。新鮮というかどことなくよそよそしいというか。
鼻歌を歌いながら道を歩いていると、反対側から走ってきた車が目の前ですーっと止まった。
鳴はなんとはなしに車へ目を向けた。ウルトラマリンのアウディだ。車体はきっちり磨き上げられ、鏡がわりになりそうなくらいぴかぴかだ。
(……なんかどっかで見たような車だな)
運転席のドアが開いてスーツ姿の男が出てきた。鳴は思わず立ち止まった。
「あっ、雪生のお兄さん?」
この地味なイケメンは間違いなく雪生の兄、桜月臣だ。
どうして月臣がこんなところにいるのか。ひょっとして雪生の将来のことでまたもや文句をつけにきたんだろうか。それとも文句を言いたい相手は鳴だろうか。なにせ食事の際には盛大に月臣を怒らせてしまった。
月臣は鳴の前で足を止めると、仏頂面で鳴をじろりと睥睨した。
「え、えーっとこんにちは。先日はごちそうさまでした」
ぺこりと頭を下げる。
IDの交換はしたものの、月臣からメッセージは一度たりとも届かなかった。鳴は寮に帰ると食事のお礼を送ったのだが、いまだ既読スルーのままだ。
「今日はクライアントと会食の予定だったが、天候不順で飛行機が飛ばなかったらしい。おかげで予定外の空き時間ができた」
「はあ、そうですか」
「君もどうせこれといった予定はないんだろう。今日これから私につき合ってくれ」
「は?」
鳴は月臣の顔をまじまじと見つめた。
「つき合うって……どこにですか?」
「それは、その、いわゆるあれだ。ほら、私と君はあれだろう。せっかくあれになったんだから、あれらしいつき合いをしてやろうと、そう思ったんだ」
なるほど。さっぱりわからない。
月臣の顔はうつむき気味で、腹のあたりで指をもじもじさせている。はにかんでいるような態度だが、月臣が鳴に対してはにかむ理由はひとつも思い当たらない。
「あのー、つかぬことをお伺いしますが、あれってなんなんでしょう?」
「あれというのはあれだ。……わからないのか? 君が言い出したことだぞ。ほら、その、と、友達になろうって……」
友達のところだけ蚊の鳴くような声だったが、かろうじて聞き取れた。
(……ひょっとして月臣のお兄さん、本気で俺と友達になったつもりだったとか?)
カルシウム不足のお兄さんという印象しかなかったが、意外と素直というか純真な一面もあるようだ。
「あー、はいはい! 言いました、言いました。確かにはっきりしっかり言いました。はいはいはい、ちゃーんと覚えてますよ。えーっと、じゃあどこにいきましょう?」
「君がふだん友人と遊びにいくようなところでいい。ごく一般的な友人づき合いというのをだな、やってみようと思ったんだ」
「ふだん俺がいくようなところって言うと、ファストフードとかファミレスとかカラオケとかですけど……」
このプライドの高そうな桜家の人間が、下々の憩いの場所を楽しめるとはとても思えない。
「じゃあ、そこでいい」
「い、いいんですか? お兄さん、チェーン店のハンバーガー食べたことあります?」
「ないから今日食べにいくんだ」
ごもっともである。
(……ま、いっか。本人が言ってるんだし、口に合わなかったからって立場のある大人が暴れたりしないだろうし)
ここは雪生の兄と交友を深める絶好のチャンスだ。鳴と月臣がほんとうに友人同士になれたなら、雪生に対する態度も少しは和らぐかもしれない。
それにあんな勢いだけの言葉をまともに受け止めて、こうして鳴に会いにきた月臣が健気に思える。
こうなったら初めての友達として張り切るしかない。
「じゃあ、まずは庶民のハンバーガーを食べにいきましょう!」
鳴は意気揚々と片腕を振り上げた。
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