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ファーストフレンド 15

 それから十五分後。  鳴は月臣と共にウルトラマリンのアウディに乗っていた。運転席に座っているのはもちろん月臣ではなく運転代行サービスの中年男性だった。  月臣はシートへぐったりともたれかかっている。水を飲ませたおかげかいくぶん顔色はよくなったが、クイーンを熱唱していたときの溌剌さは欠片もない。生ける屍といった様相だ。 「月臣さん、気分悪くないですか? 窓すこし開けましょうか?」 「……わかってるんだ」 「え?」  月臣は額に手を当てて目を閉じている。 「……弟……雪生はなにも悪くないってことくらい……。あいつが私より優秀なのも、周囲が私と雪生をなにかと比較するのも、雪生のせいじゃない」 「月臣さん……」 「わかっていても苦しいんだ……」  その声がほんとうに苦しそうで、聞いている鳴まで胸がぎゅっと絞られたように苦しくなった。  雪生が弟じゃなく兄だったら、きっとここまでコンプレックスを感じずに済んだはずだ。それか月臣が鳴のように平凡な人間だったら。  しかし、月臣は雪生の兄で、本人も優秀な人間だ。だからこそ余計につらいんだろう。 「雪生はいまでもお兄さんを慕ってますよ」 「わかってる……。わかってるからこそ狭量な自分に嫌気が差す……」  車はすっかり暗くなった東京の街をなめらかに走っていく。鳴はスマホをちらっと見た。時刻はすでに二十時近い。門限を破る覚悟はもうできている。  雪生にはクソミソに言われるだろうがやむを得まい。酔っぱらって弱音を吐いている人間を見捨てて帰ったりしたら、罪悪感で食欲と睡眠欲が減退してしまう。  雪生といえばあれからかなりの数のメッセージを送ってきていた。先ほど確認したところ、 『主人のメッセージを未読スルーとはいい度胸だな。覚悟を決めてから寮へ帰ってこい』  というメッセージが最後だった。  寮に帰ったらどんな目に合わされるのか。今度こそ本気で頬を引き千切られるかもしれない。いっそのことこのままどこか遠くへ旅立ってしまいたい気分だ。  アウディが地下の駐車場に止まると、鳴は運転手にお礼を言ってから車を降りた。 「月臣さん、歩けますか?」  月臣の腕を引いてどうにか車から降ろすと、月臣は全体重を鳴に預けてきた。平凡な鳴は体格も平均的だ。長身の月臣をひとりで支えるのには無理がある。 「ちょっ、重いんですけど……って、月臣さん、起きてますかー?」 「……うーん」 「マンションに着きましたよ。ほら、エレベータまでがんばって歩きましょう! はい、いちにさんし!」  元気に掛け声をかけてみたが、月臣は鳴にぐったり寄りかかったままだ。 (どうしよう……俺ひとりじゃとても運べないし……。申し訳ないけど運転手さんに手を貸してもらおうかな)  運転席から降りてきた男に声をかけようとしたときだった。  うす暗い地下駐車場へ真っ白いベンツが入ってきた。車のライトがまともに顔に当たり、鳴は眩しさに顔をしかめた。  車は鳴たちのすぐ横で止まり、後部座席のドアから黒豹を思わせる容姿をした少年が降りてきた。  鳴はびっくりして少年を見つめた。言うまでもない。ベンツから降りてきたのは雪生だった。

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