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奴隷の証明 5

「……つ、つ、疲れたー!」  寮の部屋へ帰った鳴は、ベッドにぐったりと倒れこんだ。雪生に汚いだのだらしないだのと罵られるかもしれないが、そんなのは知ったことじゃない。  さんざんしごかれて全身が鉛のように重い。もう指一本たりとも動かしたくない。このまま朝まで安らかに眠ってしまいたい。  ベッドがぎしっと揺れた。なにかと思ったら雪生がベッドに膝で乗り上げている。 「ちょっ、な、なに?」 「そのままうつ伏せになっていろ。マッサージしてやる」 「ま、ま、マッサージ……!?」  鳴は両目を見開いて飛び起きた。何様俺様キング様の雪生が奴隷をマッサージ?  いったいなんの気まぐれなのか。マッサージの振りをしてプロレス技でもかけるつもりじゃないだろうか。あるいはくすぐり倒して笑い死にさせるつもりかもしれない。 「筋肉をしっかり解しておかないと明日がつらいぞ。筋肉痛で弓道の練習どころじゃなくなる。おまえは怠惰な日々を送っているから余計にだ」  怠惰はともかくとして確かに雪生の通りかもしれない。が、しかしそれにしても雪生が奴隷をじきじきにマッサージとは。悪いものでも食べて毒が脳へ回ったとしか思えない。  雪生は鳴のジャケットを脱がせると、 「さっさとそこに寝ろ」  淡々とした声で促した。鳴はこわごわとベッドへ寝そべった。なんだかものすごく嫌な予感がする。素直にマッサージにかかったりしたら骨の二、三本へし折られるんじゃないだろうか。 「……っていうか雪生、マッサージなんてできるの?」 「スポーツマッサージを受けたことはあるからな。だいたいわかる」  雪生は鳴の腰にまたがると、腕を中心にもみほぐし始めた。  最初はびくびくしていた鳴だったが、やがて全身の力が抜けていった。  どうやら雪生にはマッサージの才能もあるらしい。はっきり言ってたまらなく気持ちいい。 「あっ、あっ、そこそこ、そこ気持ちいい……っ!」 「おい、おかしな声を出すな」 「気持ちいいんだからしょうがないでしょ。あっ、そこ、んっ、いいっ、あっあっ、やだ、あんっ――って、いでででででで!」  腰のツボらしき場所を無慈悲な力でぐいぐい押されて、思わず悲鳴が迸る。 「ちょっと! いまのわざとだろ!」 「おまえがおかしな声を出すからだ」  鳴は首を曲げて雪生を睨みつけたが、雪生は鳴以上に物騒な目で鳴を睨んできた。 「人が親切にマッサージしてやってるのに不埒な声を出すな」 「しょうがないだろ。勝手に声が出ちゃうんだから。……っていうか、雪生、今日はなんでやたらと親切なの」  奴隷をマッサージなんてどう考えたって雪生の柄じゃない。裏があるのでは、と鳴が疑うのも当然というものだ。 「おまえがとうとう俺の奴隷を勤め上げる覚悟をしたとわかったからだ。奴隷を下ろされたくないから、文句のひとつも言わずに弓道の練習に励んだんだろ。俺としても俺が選んだ奴隷のポテンシャルが証明されるのは悪くない。……ほら、ちゃんとうつ伏せになっていろ」  言われるままにふたたびうつ伏せになると、雪生はマッサージを再開した。  雪生の言葉はまったくの間違いではないが完全なる正解でもない。  以前のように奴隷をやめたくてたまらない、ということはもうなかったし、このまま奴隷を続けるのもやぶさかではないと思っている。  が、弓道の練習を真面目に取り組んだのは、白石の科白がそこはかとなく腹立たしかったからだ。 「……っていうか、あの白石っていう人の思う通りに奴隷を降ろされるのはちょっと腹が立つなって。初対面なのに低脳だとかさんざんな言われようだったからさ」  遊理に負けず劣らずの綺麗な顔立ちだったが、口の悪さも遊理に負けていなかった。美しい花には棘があるというが、人間もまたそうなのかもしれない。 「まあ、それだけ雪生を崇拝してるってことなんだろうけどさ」 「そればかりじゃないけどな」 「……?」 「白石家は小さな会社を家族経営している。新しい分野に手を出して少し前に大赤字を被ったらしい。だから尚のこと俺との、つまり桜家とのコネクションが欲しいんだろ」  SAKURAグループというのが経済界においてどのくらい影響力があるのかは、高校生の鳴にも想像がつく。 (でも、そんなの雪生には関係ないのに。そんな利用されるみたいなの嫌じゃないのかな……)  いくら雪生が何様俺様キング様とはいえ、一応は血の通った人間なのに。 「マヌケなおまえは考えもしないんだろ。この俺にいかに利用価値があるかなんて」  鳴はムッとした。人が心の中でひそかに同情していたのにこの言い草。首を捻じ曲げて雪生を睨む。その瞬間、ドキっとする。言葉とは裏腹に雪生の表情が柔らかかったからだ。 「ゆ、雪生はと、友達なんだから。利用するとかしないとか、そういうんじゃないよ」  鳴は慌てて顔を枕にうずめると、動揺のあまり吃りながら言った。 「そうだな」  雪生とは思えないほど素直な返事がかえってきて、ますます動揺してしまう。 「きゅ、弓道って格好いいよね。きゅーどーって響きがなんかもう魂にぐっときちゃうよねー。いちどーにどーさんどーちゅーりゃーく、はい、きゅーどー! なーんちゃって」  あはははは、と気恥ずかしさをごまかすためにとりあえず笑ってみる。 「いまのはどこが笑えるポイントなんだ」 「あー、庶民ギャグは雪生にはちょっと高尚すぎたかー。まあ、経験を積めば雪生でもいずれ理解できるようになるよ。せいぜいがんばって――って、いででで!」  ふたたびツボを容赦なく押されて悲鳴を上げる。 「ちょっと! 痛いんだけど!」 「痛いところを容赦なく押したんだから当然だ。神経がまともに通っていることがわかってよかったじゃないか」  首をねじって雪生を見上げると、今度は上から目線の微笑がかえってきた。憎たらしいがちょっとホッとしてしまう。  素直な雪生を見せ続けられたら心臓がもたない。違った意味で安らかな眠りについてしまいそうな気のする鳴だった。

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