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奴隷の証明 6

 昨日の出来事はあっという間に全校生徒へ広まったらしい。 「あの……相馬君、噂で聞いたんだけど……。弓道部門で白石さんに勝てなかったら桜会長の奴隷の座を降りる、ってほんとなの……?」  教室へ入っていくと、朝人が椅子から立ち上がって訊いてきた。  あれからたったひと晩で朝人の耳にまで届いたのか。どうやら噂というのはチーター以上の俊足らしい。 「うん、そうなんだよ。昨日、元奴隷の人たちが生徒会室までやってきて、俺の運動能力を証明するために、白石さんって人に弓道で勝つことを約束させられたんだよね。俺が白石さんに負けたら俺のかわりに元奴隷の人たちが奴隷にもどるんだって」 「そんな他人事みたいに……。相馬君はそれでいいの? せっかく桜会長の奴隷に選ばれたのに」  朝人は今にも泣きそうな顔で鳴に訴えてきた。 「いや、よくはないけど……まー、しょうがないかなーって。雪生が相手の申し出を受けた以上はさ。まあ、武道大会を精一杯がんばるよ」 「……桜会長、どうしてそんな申し出を受けちゃったんだろ。会長ならいくらでも突っぱねられたのに。先生たちだって会長には逆らえないくらいなんだから」  きっと桜さんは受験組から奴隷を選んだことを後悔してたんだよ。  白石さんたちの申し出は渡りに船だったんじゃないか。  そんな囁き声が聞こえて視線を向けると、数人のクラスメートがにやにや笑いながら鳴を見ていた。  鳴に対して面と向かって攻撃してくる人間はもういなかったが、内心で面白くなく思っている生徒はきっと少なくないんだろう。奴隷の座を明け渡すことになったら、きっともっと大勢の生徒から嘲笑われるに違いない。 (……なんだか疲れるなあ。奴隷がなんだっていうんだよ。そんなに奴隷になりたいんだったら、勝手に馬鹿でかい石でも用意してひらすら運んでればいいのに)  鳴は溜息を押し殺しながら席に腰を下ろした。 (でも、瀬尾君の言う通りだ。白石さんの申し出をつっぱねることができたんなら、どうして受けたりしたんだろ……。俺が奴隷じゃなくなってもいいのかな……。っていうか、奴隷じゃなくなったら部屋はどうなるんだろ。ルームメイトも終了になるのかな……)  奴隷は割とどうでもよかったが、雪生のルームメイトじゃなくなるのはちょっと、いやちょっとどころじゃなく淋しい――かもしれない。  それは雪生だって同じはずだ。ゴールデンウィークを鳴の実家で過ごしたり、夏休みの旅行にまでくっついてこようとするほどの淋しがり屋なんだから。  でも、白石たちの要求を受け入れたのは雪生だ。  いったい雪生がどういうつもりでいるのか、今になって疑問になってきた。 「相馬君、ちょっといいかな」  一時限目が終わると、雪生の元奴隷の宮村がドアのところから手招きした。  ドキッとしたのは白石たちと同じく宮村も奴隷の座に返り咲きたいと願っているのを知っているからだ。  鳴がドアまで歩いていくと、宮村は鳴を教室の外へいざなった。 「昨日の話、聞いたよ。武道大会で白石に負けたら、白石たちと奴隷の座を交替するんだって?」 「はあ、まあ、そうみたいです」  宮村は気づかわしげな表情だった。奴隷の座を旧奴隷と交替するということは、宮村もまた奴隷にもどるということだ。宮村にとっては好都合な話のはずなのに、なぜなのか少しも嬉しそうじゃない。 「……相馬君、すまなかった」  目の前で深々と頭を下げられて、鳴は驚き、次に焦った。 「えっ、ちょっとどうしたんですか? 宮村先輩が謝ることなんてなにも――」 「僕は知っていたんだ。白石たちが君を奴隷の座から降ろそうと画策しているのを。それを止めきれなかった」 「いや、でも、そんなの宮村先輩のせいじゃないですから。謝ったりしないでください」  先輩の立場にある人に謝られてもひたすら困る。宮村はなにひとつ悪くないだけに尚更だ。 「っていうか、宮村先輩は白石先輩たちのやりかたに反対なんですね」 「当たり前だよ」  宮村は顔つきを厳しく引き締めた。 「奴隷の座に返り咲きたいのなら、桜会長に認めてもらえるように己を高めるべきだ。相馬君の能力を測るようなやりかたじゃなくね。だいたい奴隷の座はあと九つも空いてるんだ。相馬君を奴隷の座から引きずり下ろす必要がどこにある?」  鳴は目の前にいる先輩がふたたび奴隷に選ばれるために努力していたのを知っている。鳴を観察してギャグセンスを磨くという、かなり明後日な方向の努力ではあったが。 「弓道で勝負するっていう話だけど、弓道の経験があるのかい?」 「いーえ、まったく。ずぶずぶずぶの素人です」 「……桜会長は弓道の腕前もかなりのものだから、じきじきに教えてもらえば最初は素人でも上達すると思う。でも、時間がなさすぎるよ。武道大会はあと九日後なんだ。……桜会長はどうして白石たちの要求を受け入れたんだろう。元奴隷の要求なんて受け入れる必要はなかったのに」  鳴は宮村の眉間の皺をぼんやりながめた。朝人も宮村と同じようなことを言っていた。  はねつけることのできたはずの要求をどうして受け入れたのか。 (……俺が邪魔になったとか――って、そんなはずないだろ。俺を奴隷から降ろすのに、そんなややこしいことしなくたって、おまえはもうクビだってひと言告げて部屋から追い出せばいいだけなんだから)  それに奴隷をクビにしたいのなら、あれほど懇切丁寧に弓道を教えてくれたり、その上マッサージまでしてくれるはずがない。  でも、じゃあどうして?  鳴は授業開始のチャイムが鳴り響くまで廊下に立ちつくして考えたが、納得できる理由はひとつも思い浮かばなかった。

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