231 / 279
初恋探し 3
「初恋の子が誰なのか、思い出せるかどうかはまだわかんないよ。思い出せるといいなーとは思ってるけど。っていうか、俺の初恋の子にどうしてそこまで拘るわけ?」
「どうしてだと思う?」
「どうしてって……」
前々からの疑問ではあるが『面白がっているだけ』という気がしてならない。
「俺をからかって遊ぶため、とか、俺をいじるネタにするため、とか……」
「まあ、当たっていなくもないな」
雪生の表情はやっぱりどこまでも楽しげだ。この先にとても楽しみなことが待ち構えているとでもいうように。
軽トラックはほどなくして古びた民家の前で止まった。
瓦葺きの平屋建てで、前庭には低木や高木が植わり、庭に木陰を作っている。
奇妙な感覚――切なさによく似た感覚がわっと立ち昇る。
(……俺、この風景を知ってる。見たことがある。ずっとずっと幼いころに)
鳴は軽トラックから降りると、庭をきょろきょろとながめまわした。
この庭のどこかにあるんだろうか。あの子にいいところを見せたくて、頑張って登った大木は。
雅美はふたりを家の中へ案内すると、よく冷えた麦茶を出してくれた。
外出するときも鍵はかけなくていい、という言葉を残して雅美は畑にもどっていった。
広々とした日本家屋に鳴と雪生だけが取り残される。
「えーっと、まず子供のころに登った樹から探そうかなーって思ってるんだけど。ひょっとしたらこの家の庭にある樹のどれかかもしれないし」
「それがいいだろうな」
雪生はいつになく素直に鳴の提案を受け入れた。
庭に出た途端、夏の陽射しがわっと襲いかかってくる。
「えーっと、どの樹だろう」
庭にはさまざまな高木と低木が植わっている。その中で子供でも登れそうな樹となると――
「鳴、これじゃないのか」
雪生は青々した葉を茂らせている一本の樹を見上げている。
なるほど。この幹の太さなら子供の手足でも登れそうだし、かといってかんたんに登れそうな高さでもない。幹から伸びた枝は太く、鳴ひとりは余裕で支えられそうだ。
好きな子にいいところを見せるにはうってつけだ。
と言っても登ったのがこの樹だったのかどうか確証はない。バラとカーネーションの区別さえろくにつかない鳴には、樹なんてどれも同じに見える。
「よし! とりあえず登って見る!」
鳴は片手を振り上げた。登ってみればこの樹があの樹なのかどうかはっきりするかもしれない。
たくましい幹に蝉のごとくしがみつき、四本の手足を使って上へ上へと登っていく。樹に登るのなんて小学校以来だ。
身体はコツを覚えているらしく、びっくりするほどスムーズに最初の枝までたどりついた。次の枝に手をかけて、ひょいひょいと登っていく。
ひときわ太い枝を見つけて腰かけると、遥か眼下に雪生の姿が見えた。
(あのときもこうやって樹の上からあの子を見下ろしてた。あの子に少しでもかっこいいって思われたくって必死で……)
好きだったんだ。子供だったけど子供なりの本気で好きだった。
雪生は地上から鳴を見上げている。あの日のあの子のように。
(……なんか……あの子と雪生ってちょっと、ううん、だいぶ似てるなあ。艶のある黒髪とか、綺麗に整った顔立ちとか、白い肌とか……。雪生に妹がいたらあの子みたいな感じかも。っていうか、雪生が女の子だったら大きくなったあの子のまんまかも)
一学年上の毒舌家な先輩は鳴をじっと見上げていたかと思うと、いきなり樹を登り始めた。
あれよあれよという間に鳴のところまでたどり着き、斜め前に伸びている枝の上に立つ。
太陽は大きく西に傾き、夏の長い日もようやく暮れ始めようとしている。
「いいながめだな」
「雪生、木登りなんてできるんだ」
生粋のお坊ちゃまなのに野生児みたいな真似もできるとは。つくづくできないことのない人だ。
「ああ、練習したからな。おまえにできて、この俺にできないことなんてこの世の中にはひとつもないんだ」
ふふんと得意げな顔で笑う。
なんだか今日の雪生はいつもとちがう。いつもより子供っぽいというか年相応の表情を見せるというか。
なんだか胸がざわざわする。
子供っぽい雪生はちょっとだけ可愛いかもしれない。
「でも、おにぎり十個一気食いはできないでしょ」
「低俗な争いをするつもりはない」
木登りだって高尚とは言えないと思ったが、雪生の機嫌があまりによさそうだったので何も言わずにおいた。
ともだちにシェアしよう!