233 / 279

初恋探し 5

 タイル張りの浴槽は昔に作られたものだからか、それとも田舎だからかずいぶんと大きい造りで、ふたりでもゆったりと入ることができた。  雪生とふたりという嫌な緊張感はあるものの、温かい湯に浸かると長旅の疲れがゆるゆると溶け出していくような気がする。 「……あー、いい気持ち。おっきいお風呂っていいよねえ。日ごろのストレスもちょっとは癒されそうだよ」 「脳みそくらげのおまえにストレスだって? ストレスに失礼な発言だぞ」 「あのさ、ストレスの原因が自分だってわかった上での発言なわけ?」  鳴は雪生を睨んだが、雪生は楽しげに笑っているだけだった。 「雪生、さっきから妙に機嫌がいいよね。やっぱり持ち株が急騰した? それとも宝くじでも当たった?」 「そんなことくらいで機嫌がよくなるほど単純にはできていない。脳細胞がひとつだけのおまえと一緒にするな」  機嫌がよくても口の悪さにはまったく影響しないらしい。 (あのことをお願いしてみるなら、機嫌のよさそうないまがチャンスかも)  機嫌をそこねてしまって頬を引きちぎらんばかりにつねられるかもしれないが、被害はせいぜいそれくらいだ。この機会を逃す手はない。 「あ、あのさ、雪生……。雪生の好きな人って誰なの」  腹立ちまぎれに『雪生の好きな子をぜったい暴いてやる』と心に誓ったまではよかったが、好きな子がわかるどころかいまだ手がかりのひとつもつかめずにいる。  雪生のことをよく知っていそうな人で、鳴が知っている人物は三人しかいない。  兄の月臣、弟の春輝、祖父の龍彦、その三人だ。その中で鳴がコンタクトを取れるのは月臣ひとりだけだが、 『あいつの好きな子? そんな人間らしい存在があいつにいるのか?』  メッセージで訊いてみたところ、月臣も弟の想い人は知らないらしく、割とひどい返事が返ってきた。  雪生の行動を探ってみようと思ったものの、探るもなにも起床から就寝までずっと一緒にいるのだ。離ればなれなのは授業中くらいのもので、まさか授業を抜け出して雪生のようすを見に行くわけにもいかない。  だいたい授業中の雪生を観察したところで好きな人がわかるはずもない。  雪生の好きな子探しはすぐに座礁に乗り上げた。  けっきょく本人に訊くしかない。問題はそのタイミングだ。己のことをまず語らない雪生が素直に打ち明けてくれそうなタイミング。  そんなものは永遠に訪れないような気がしていたのだが、いまこのときがきっとそのタイミングだ。 「なんだ、まだそんなことを気にしていたのか?」  思わず両頬を手で押さえてしまったが、雪生はどうでもよさそうに言っただけだった。  前回うっかり好きな人について触れたときはご機嫌が地の底までめりこんだのに。  どうやらいまの雪生はそうとう上機嫌らしい。 「雪生だって俺の初恋の子を知りたがってるじゃない。俺だって雪生のことをもうちょっとくらい知りたいよ」 「そうだな……じゃあ、おまえが初恋の子のことをきちんと思い出したら、俺もおまえに教えてやろう」 「えっ! い、いいの?」 「知りたいんだろ? 俺の好きな相手が誰なのか」  知りたい。でも、改めて問われると知りたくないような気もする。 (雪生の好きな子が誰かわかったら、俺いったいどんな気持ちになるんだろ……)  想像してみると胸の中に嫌な感じのもやがかかる。あまりいい気分じゃない。  鳴はどうしてそんな気持ちになるのか自分でもよくわからなかった。  わけのわからないもやもやを誤魔化すように視線を磨り硝子のドアへ向ける。いかにも昭和な磨り硝子。そういえば見覚えがある―― 「あっ!」  思わず声を上げたのは、懐かしい記憶がまざまざとよみがえったからだ。

ともだちにシェアしよう!