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史上最悪の恋 1
どれほど長い夜もいつかは開ける。
鳴が布団に横たわったまま一睡もできずにいると、やがて小鳥の囀りが雨戸の向こうから聞こえてきた。
雨戸に隙間があるのか、閉ざされた白い瞼の上を一筋の光が這っている。
「……ん」
雪生は眩しそうに顔をしかめると、ゆるゆると瞼を開けた。
視線が合う。その途端、雪生はめずらしくぎょっとした顔になった。
「鳴、どうかしたのか」
「……なにが?」
鳴は布団に横たわったまま、雪生の顔をじっと見つめていた。
その目は絶望によどみ、目の下には睡眠不足による隈が色濃く浮かんでいる。
有り体に言えばこの世の地獄を見てしまったかのような荒みきったひどい表情だった。
「ひどい顔だぞ。ひょっとして眠れなかったのか?」
眠れるはずがない。
桜雪生が好きだという最低最悪の事実に気づいてしまったのだ。
恋心を自覚してしまった鳴は、雪生の寝顔をひと晩中ひたすらに見つめていた。
どうにかして「雪生が好きだなんて勘違いだった」という結論を導きだそうとしたのだが――あえなく玉砕した。
整った寝顔を見つめれば見つめるほど息苦しさは募っていった。寝顔を見つめているだけで心臓はドクドクと波打った。
それだけならまだしも、眠っている雪生に触れたいとまで思ってしまった。
このひと晩で鳴が手に入れたのは、桜雪生が好きだという確信だけだった。
「……ちょっとね。ひと晩中、絶望と格闘してたもんだから」
「絶望……? 怖い夢でも見たのか?」
雪生は身体を起こすと、鳴の額に手を伸ばしてきた。
「怖くて眠れなかったのなら俺を起こせばよかっただろ」
優しい手つきで前髪を掻き上げて、鳴の目の奥をのぞきこんでくる。
ドクッと音を立てて心臓が肋骨にぶち当たった。
(……わかった。雪生のせいだ。雪生が好きだって気づいたのは雪生のせいだ。昨日から変に甘い雰囲気を作ったり、恋人同士みたいなキスしたり、挙げ句におでこにちゅーなんてしたりするから……! 雪生がいつも通りだったら気づかなくって済んだのに!)
「ゆ、雪生のせいだからな! ど、ど、どうしてくれるんだよ! 俺の未来設計図がむちゃくちゃになっちゃったじゃないか!」
がばっと起き上がり、雪生に半ばつかみかかる勢いで叫ぶ。
「言っている意味はまったくわからないけど、とりあえず少し落ちつけ」
「落ちつけだって!? 落ちついていられるわけないだろ!」
「朝っぱらから血圧の高い奴だな。俺が安眠している間にいったいなにがあったんだ」
「雪生のことが――!」
好きだって気づいちゃったんだよ、と叫びかけて、口をぴたっと閉じる。
本人にカミングアウトしてどうしようと言うのだ。雪生にだけは知られてはならないのに。
「俺がどうした」
「えっ!? あー、えーっと、きょ、今日も相変わらずイケメンだなーって。よっ! 日本一!」
両手でメガホンを作って叫ぶと、氷の女王顔負けの冷ややかな視線が返ってきた。
「鳴、安心しろ。すぐに救急車を呼んでやる。頭が重病みたいだからしばらく出てこれないかもしれないけど、見舞いにはいってやるから心配するな」
枕元においてあったスマートフォンを手に取ると、どこかに電話をかけようとする。
鳴は慌てて止めた。
「救急車とか呼ばなくていいから! 俺なら大丈夫! ほら、こんなに元気!」
鳴は勢いよく立ち上がると、いちにいちにと掛け声を上げながら準備運動をしてみせた。
雪生の視線はいよいよ冷たい。
(そうそう、雪生はそれでいいんだって。変に優しかったり甘かったりされると、逆に対応できなくなっちゃうんだから)
いつも通りの塩対応にホッとしてしまう鳴だった。
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