240 / 279
史上最悪の恋 4
(……俺、このまま雪生の隣にいてもいいのかな。雪生は俺を友達だって思ってるのに。友達の振りして隣にいるのって狡くない? 俺が雪生に触りたいって思ってるって知ったら――って、いやいやいや! 俺はそんなやましいこと思ってないし! だいたい雪生なんていっつも俺に触ったりキスしたりしてくるし! 俺が触りたいって思ってもそれくらい罪にはならない――って、だから俺はそんなこと思ってないんだってば!)
地面を転げ回りたい衝動に襲われた鳴は、勢いよく足許へダイブした。が、しかし、川の中で転がることなどできるはずもない。
派手に水しぶきを上げただけだった。
「なにをやってるんだ、おまえは」
雪生は全身ずぶ濡れになった鳴の首根っこをつかんで引き上げた。
「……いや、あんまり暑いからちょっと頭を冷やそうと思って」
あはははは、とわざとらしく笑ってみせたが、返ってきたのはさも胡散臭げな視線だった。
「どうもさっきから様子がおかしいな」
「えっ……!? い、いや、俺はいたっていつも通り――」
「ひょっとして――」
心臓がドクッと跳ねる。
雪生はすべてを見透かすような笑みを浮かべて鳴の目を見つめてきた。
(ま、ま、ま、まさか俺が雪生に恋してるって気づかれた……!?)
気づかれたらもう雪生の隣にいられなくなるのに。
「鳴、おまえ」
「――――――」
「ひょっとして初恋の相手のことを思い出したんじゃないのか?」
「ちっ、ちがうちがうちがうから! 俺は触りたいだなんてこれっぽっちも――……へ? 初恋?」
緊張のあまりぎゅうっと締めつけられた心臓がふーっと弛緩する。
雪生への想いに気づかれたのかと思ったがちがったらしい。
「触りたいってなんの話だ?」
雪生は訝しげな表情で鳴を見つめている。
「えっ!? さ、触りたいじゃなくって、さー割りたいって言ったんだよ。ほ、ほら、夏といえばスイカ割りでしょ。割りたいなー、スイカ。スイカスイカ、真っ赤なスイカ。割りたくてたまらないなー」
鳴は架空の竹刀をぶんぶんと振った。
「どうも怪しいな」
「えーっと、初恋の子の話だったよね。初恋、初恋、初恋っと」
あはははは、と無意味に笑いながら視線を川の下流へ彷徨わせる。
思わずあっと声を上げそうになる。
川で遊ぶふたりの子供の姿が、まざまざと脳裏に浮かび上がったからだ。
大きな瞳と黒く艷やかな髪を持った幼い少女。その向かいに立つのは平凡としか言い表しようのない幼い少年。
鳴ははっきり思い出した。
あの日の夢がただの夢じゃなく懐かしい思い出だったことを。
「どうかしたのか。マヌケ面がよりいっそうマヌケになってるぞ」
「……思い出したんだよ。初恋の子さ、川で上手く泳げなかったんだ。ほら、川ってプールや海とちがって浮きにくいし流れもあるから泳ぎにくいんだよ。俺、あの子にいいところ見せたくって川で上手く泳ぐ方法を教えようとしたんだ。そしたらあの子、怒っちゃって……」
庶民のくせに生意気な。大きな瞳で鳴を睨みながらそう言ったのだ。
「庶民のくせに生意気な、だって。なんか雪生が言いそうな科白だよね」
鳴は笑いながら言った。雪生に目を向けてドキッとする。
整うだけ整った顔に悪戯を企む少年めいた微笑が浮かんでいたからだ。
「さっきからなんなの、その笑い」
なぜかはわからないがうっすらと嫌な予感がする。
少年めいた笑みそのものは胸がきゅんとするほど可愛いのに、どこからともなく寒気がせり上がってくるのはどうしてなのか。
「気にするな。そうか、おまえは相手にいいところを見せたかったのか」
「そりゃあ……男って好きな子の前ではいいところを見せたいものでしょ。まあ、あのときはプライド傷つけちゃったみたいだけどさ」
いま目の前にいるのも好きな子なわけだが、出会ってから一度でもいいところを見せられただろうか。
(いいところって言ってもなあ……。俺にできて雪生にできないことなんておにぎりの一気食いくらいだし……)
好きな相手が優秀すぎるのも困りものだな、と鳴は思った。
「少し泳ぐか」
気がつくとずいぶん深いところまでやってきていた。
雪生の身体が水に沈み、なめらかに泳ぎ出す。川を泳ぐ雪生はしなやかな若鮎のようだ。
案の定、泳ぎも得意ときている。この完璧超人相手にいいところを見せるなんて至難の業――いや、不可能だ。
鳴は溜息をぐっと呑みこむと、雪生に続いて川を泳ぎ始めた。
ともだちにシェアしよう!