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ファーストラブ 6

「え、でも、お父さんたちが偉くっても、ゆきちゃんには関係なくない? 偉いのはお父さんたちでゆきちゃんじゃないもん」  鳴の科白に雪生は頬を打たれたような表情になった。下唇を噛みしめていっそうきつい眼差しで鳴を睨みつけてくる。  鳴はたじろいだ。どうやら相手を怒らせてしまったらしい。ちょっといいところを見せたかっただけなのに、どうしてこうなってしまったのか。  雪生は鳴を睨むだけで、それ以上なにも言おうとしなかった。  痛いところをついたのだ、と今になってわかる。  懐かしさが奔流となって押し寄せてくる。  雪生と過ごした時間はそれほど長くない。鳴が祖父の実家で過ごすのは、いつも夏休みの一週間ほどだった。 (短かったけどいろんなことをしたっけ。川で遊んだり、ご近所さんの野菜の収穫を手伝ったり、庭で花火をしたり……)  ああ、そうだ。雪生に初めておにぎりを握って食べさせたのもあのときだった。  川でさんざん遊んだ鳴と雪生は腹を空かせて家へもどった。 『あっ、朝のごはんがまだ残ってる。これでおにぎりを作ってあげるね』  まだ子供だった鳴は小さな手で塩むすびを握った。今よりもずっと不格好なおにぎりだったはずだ。 『はい、どうぞ』  雪生に差し出すと、雪生はさも胡散臭そうな目でおにぎりを見つめた。 『それはなんだ』 『おにぎりだよ。塩味のおにぎり。美味しいよ』  雪生は受け取ったもののすぐに食べようとしなかった。それが未知の食べ物であるかのように、やや眉を寄せて見つめていた。 『ゆきちゃん、おにぎり食べたくないことないの?』 『ない』  こんな美味しいものを一度も食べたことがないなんて。  鳴は心の底から同情した。  雪生を横目でながめながらあっという間におにぎりを平らげる。雪生はふたつ目、三つ目と平らげる鳴を気難しい表情でながめていたが、思いきった表情でおにぎりをひと口噛じった。  大きな瞳が更に見開かれる。   『……美味しい』  雪生は手にしているおにぎりをまじまじと見つめた。 『でしょ!? おかかとかシャケも美味しいけど、塩だけのおにぎりも美味しいんだよ。ゆきちゃんがここにいる間にいっぱい握ってあげるね』  勢いこんで言うと、雪生の表情がふっと緩んだ。 『おまえっておかしな奴だな』 『えっ、なんで? なんかおかしかった?』  鳴は変なことをしてしまっただろうかと焦ったが、雪生は鳴の質問には答えずに笑っておにぎりを食べているだけだった。  濃密な一週間だった。一日一日が宝石のようにきらきらと輝いている、まるで宝物のような一週間。  どうしてすっかり忘れてしまっていたんだろう。  鳴は清涼な音を立てて流ていく川を呆然とながめていた。

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