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ファーストラブ 8
「しょ、しょうがないでしょ! 小さかったころの話だし、雪生のこと――」
女の子だと思ってたんだから、という言葉はごくっと呑みこむ。それはそのまま雪生が初恋の相手だという事実に繋がっている。
「まさか女と勘違いしていたとはな。道理で頑として一緒に風呂へ入らなかったはずだ。俺が着替えるときも絶対こっちを見ようとしなかったな、そういえば。おかしな奴だと思っていたんだ」
鳴の呑みこんだ言葉をあっさり言われてしまい、頬がかあっと熱くなる。
鳴の初恋の相手が雪生だったことを、雪生はいったいどう思ってるんだろう。いまだに奴隷をクビになってないことからすると、子供のころのことだからとあまり気にしていないのかもしれない。
が、しかし、二度目の恋の相手も雪生だと知ったら、奴隷をクビどころか斬って捨てられてもおかしくはない。
「あの……雪生さん……」
「なんだ? おまえにさんづけされると鳥肌が立つからやめてくれ」
「その節は勝手にキスしたりして誠に申し訳ありませんでした」
鳴は縁側に両手をつくと深々とこうべを垂れた。
初恋の相手を探していたのはキスしたことを謝りたかったからだ。これで当初の目的は果たしたことになる。
「あのさ……雪生が俺を奴隷に選んだ理由がわかったら、奴隷から解放するって言ってたでしょ。ってことは俺はもう雪生の奴隷じゃなくなるってことだよね……?」
鳴は両手をついたまま恐る恐る顔を上げた。
雪生の奴隷じゃなくなるなんて嫌だ。
入学当初はあれほど奴隷から解放されたいと思っていたのに。たった四カ月で自ら奴隷を望むようになるなんて。
「俺がおまえを奴隷に選んだ理由がほんとうにわかったのならな。言ってみろ」
雪生は余裕たっぷりの笑みを浮かべて鳴を見つめている。
「え、だから、俺がキスしたことの腹いせでしょ」
「違う。俺がおまえを奴隷に選んだのは――」
膝の上の手が無意識に拳を作る。鳴は固唾を飲んで雪生の言葉の続きを待った。
「おまえが俺に屈辱を味わわせたたったひとりの人間だからだ」
「屈辱って――」
だからそれはキスされたからじゃないのか?
雪生は片膝をついて鳴へ向き直った。
「おまえは俺にこう言ったな。父親や祖父がいくら偉くても俺が偉いわけじゃない。おまえはおまえだろう、と」
川で泳ぎを教えようとしたときの鳴の科白だ。覚えている。というよりもついさっき思い出した。
「あー……そんなことを言ってましたね……」
「あのときは腹が立った。おまえにじゃなく親の威光を借りようとした自分自身にだ。それだけじゃない。川での水泳や木登り、それに昆虫を素手でつかむこと。おまえは俺にできないことができた。あれは子供心にひどい屈辱だった。今まで他の子供にできて、この俺にできないことなんてなかったんだ。……俺が負けたと思ったのはおまえが最初で最後だ」
雪生にできて鳴にできないことのほうがずっと多いのに。天才のプライドはチョモランマ並に高いようだ。
「もしも再会することがあれば、そのときは必ず見返してやる。相馬鳴が足元にも及ばない人間になってやる。そう思ってアメリカで学業、スポーツ共に励んできた。今の俺があるのはほんの少しおまえのおかげでもある、ということだ。鳴、どうもありがとう」
華やかな笑顔を向けられて、心臓がドキッとする。
(そうだった。俺、この人が好きだったんだ)
改めて自覚した途端、心臓がドッドッドッと慌ただしく動き始める。
「いや、そんな。雪生が優秀なのは雪生が努力したからで――」
「そんなことはわかっている。99.9%俺の努力と才能の賜物だ」
相変わらず謙遜という美徳を知らない男だ。
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