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エピローグ 1

 あっという間に一週間が過ぎた。  夏の日々は一日一日がきらめいて、ぎゅっと握りしめたら宝石になりそうなほどだった。  今日の夕方、鳴は埼玉の家に帰る。ゆきちゃんも東京の家に帰ると言っていた。  これでしばらく会えなくなる。  でも、大丈夫だ。会いたくなったらゆきちゃんの家まで遊びにいけばいい。夏休みはまだまだ続くんだから。  鳴はゆきちゃんの姿を探して、あちこちの部屋をのぞいてまわった。  ゆきちゃんは昼食を食べ終わると、まだ食べ終わっていない鳴を残してさっさと食堂を出ていってしまった。残された時間は少ない。それまで一緒に遊びたいのに。 (ゆきちゃんは僕と遊ぶの楽しくないのかな……)  だから最後の日だというのに、ひとりでどこかにいってしまったんだろうか。  鳴は居間におかれている大きな振り子時計の前でしょんぼりと立ち尽くした。  祖父の史高にゆきちゃんを紹介されたのは一週間前。鳴がここへ到着した日の午後だった。 『初めまして。さくらゆきおです』  ゆきちゃんは小さく頭を下げて挨拶すると、にこやかな笑みを浮かべた。  ゆきちゃんの第一印象は『テレビの中にいそうなくらい可愛い子』だった。それと同時に『なんだかちょっと近づきにくいな』とも思った。  微笑んではいるがどことなく空々しい。ほんとうはここにきたくなかったんじゃないだろうか。  鳴は直感でそう思った。  その直感は当たっていたらしく鳴とふたりきりになった途端、ゆきちゃんの顔から笑みが消えた。 「まったく……なんだってこの僕がこんな辺境の田舎にこなくちゃいけないんだ」  畳の上に荷物を投げ出しながら、うんざりした顔で毒づく。  鳴は態度の変わりようにびっくりしながらひとつ年上の少女を見つめた。 「ゆきちゃん、ここにきたくなかったの?」 「ゆきちゃん?」  ゆきちゃんは右目を眇めて鳴を睨んだ。顔立ちが整っているだけに剣呑な表情をすると子供らしからぬ迫力がある。 「ゆきおだからゆきちゃん……だめ?」  首を傾げて訊ねると、ゆきちゃんは大人がするみたいに鼻を鳴らした。 「おまえにゆきちゃん呼ばわりされる覚えはない。……ド田舎につれてこられて、マヌケ顔に厚かましくゆきちゃんなどと呼ばれて、まったくさんざんだ」 「で、でも! 田舎だって楽しいよ! 森を散歩したり、川で水遊びしたり、野菜を採るお手伝いをしたり。都会じゃできないことがたくさんできるよ」  鳴は祖父の実家のあるこの土地を気に入ってもらおうと、勢いこんでプレゼンした。が、返ってきたのは世にも冷ややかな一瞥だった。 「ほんとうだったらコペンハーゲンに避暑にいっているはずだったんだ。なのに、お祖父様が今年の夏は日本らしい夏を体験しろ、などと言い出して……」  はあ、と子供らしからぬ深い溜息。 「そんなに嫌だったら嫌だって言えばよかったのに」  鳴はコペンハーゲンってどこだろうと考えながらゆきちゃんに言った。 「そんなこと言えるものか。お祖父様が僕のことを思ってしてくださったことに、嫌だなんて言えるわけがない。お祖父様はうちでいちばん偉い立場の人なんだ」 「そっかあ……ゆきちゃんはお祖父さんが大好きなんだね」  鳴も祖父のことは大好きだ。父方の祖父は鳴が生まれてまもなく他界してしまったが、母方の祖父とは一緒に暮らしている。  鳴の知らないことをたくさん知っている祖父と遊ぶのはいつだって楽しかった。 「じゃあ、お祖父さんのためにもここでいっぱい遊んでいっぱい楽しまないとね。楽しかったって報告したらお祖父さんきっと喜ぶよ」 「……まあ、そうだな」  あまり納得した様子ではなかったが、鳴はかまわずにゆきちゃんを外へ連れ出した。  あの日から一週間。ふたりは毎日くたくたになるまで遊びまわった。  最初は鳴とふたりきりになると仏頂面をしていたゆきちゃんも、数日もすれば子供らしい表情を見せるようになった。  ちょっと気難しいところはあるけれどゆきちゃんは根は素直な女の子だ。それに優しいところだってある。  昨日のことだ。  鳴が振り子時計の音に怯えて眠れずにいると、安心させようとして手を握ってくれた。  鳴よりほんの少し大きな手。鳴よりもひんやりしている手。初めて目にする優しい笑顔で「安心しろ」と言ってくれた。  あの笑顔を思い出すと胸がドキドキする。  次の日からというもの、鳴はゆきちゃんにいいところを見せようと躍起になった。ゆきちゃんに格好いいと思ってもらいたかったのだ。  生憎と鳴の努力はことごとく裏目に出て、いいところを見せるどころか機嫌を損ねるばかりだったのだが。

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