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夏色の宝石 1
庭先から涼しげな音色が聞こえてくる。秋の虫の鳴き声だ。
日中は蟬時雨がかしましいが、夜になると秋の虫たちがそっと音楽を奏で出す。山に囲まれたこの土地――相馬鳴と出会った山村には秋がひたひたと忍び寄っているらしい。
雪生は鳴の額へ手を伸ばした。ぬるくなった濡れタオルを取り上げて、洗面器の氷水へ浸す。
「……ん」
固く絞ったタオルを額へのせると、鳴は布団の中で小さく身じろぎした。
ふたりにあてがわれた和室には布団がひと組敷かれている。蚊帳を下げていないのは看病するのに邪魔になるからだ。
「……雪生」
焦点の定まらない瞳が雪生を見上げる。
覇気のない表情はまるで鳴らしくない。初めて目にする表情に小さな苛立ちが湧き上がったのは、おまえはまだ相馬鳴のことをろくに知らないのだ、と誰かに耳許で囁かれた気がしたからだ。
共に過ごした時間は九年前の一週間。再会してからの四ヶ月。たったそれだけだ。
どちらも濃密な時間ではあったが、九年間の空白はあまりに長い。
「目が覚めたか? ちょうどいい。さっきちとせさんがおかゆを持ってきてくれたんだ。食べるだろ?」
鳴のことだから熱を出したくらいで食欲がなくなったりしないだろう。なにせもったいないの一心で辛子入り最中を完食するような人間だ。
「食べる食べる! おかゆってさ、風邪のときくらいしか食べられないから、なんか嬉しいよね」
案の定だったらしく、瞳に覇気がもどってきた。いそいそと布団の上に身体を起こす。
単純な奴だな。素直というか裏表がないというか。
雪生は小さく笑うと、傍らにおいてあった土鍋の蓋を開けた。むわっと湯気が立ち昇る。
「ほら、口を開けろ」
卵と葱入りの粥を茶碗によそって陶器のスプーンを差し出すと、鳴はぎょっとした顔になった。
「え、ちょ、なに」
「おまえは病人だからな。俺が食わせてやる」
「いやいやいや! 病人って言っても熱があるだけだし、自分で食べられるって!」
鳴はぶんぶんと首を振った。ただでさえ赤い頬がますます赤くなっている。
「遠慮しなくていい」
「遠慮じゃなくって……! こ、こんなのこいび――」
言葉がぴたっと途切れたのは「恋人同士みたいじゃないか」と言いかけて、もうみたいではなくなったことを思い出したからだろう。
雪生は目を細めて微笑むと、鳴に顔を近づけた。
「そうだな。俺とおまえは恋人同士なんだから、食事を食べさせるのは当然のことだな」
「えっ、ちょ、顔ちか――」
「ほら、口を開けろ」
「あ、う、はい……」
唇にスプーンで触れると、鳴はおずおずと口を開いた。伏し目がちにスプーンを咥える。
雪生は鳴の喉が小さく上下するのをじっと見つめた。
粥を食べさせているだけなのに妙に扇情的なのは、鳴の恥じらいのせいなのか。スプーンを咥えさせるという行為がどことなく性的だからか。
「雪生……なんかごめんね……」
鳴は視線を落とすとぼそりと呟いた。
「それはいったい何に対する謝罪なんだ? 心当たりがありすぎて見当がつかないな」
「……なんかそれって俺が雪生にいつも迷惑かけてるみたいに聞こえるんだけど?」
「その言いかただと、まるで俺に迷惑をかけてないみたいに聞こえるぞ」
「いや、かけてないし! かけられたことは嫌っていうほどあるけど、かけた覚えなんて一度もないから。俺がいつどんな迷惑を雪生にかけたっていうんだよ」
鳴はムッとした表情で雪生を睨んできた。
毛を逆立てたハムスターみたいで可愛いな。鳴が聞いたらさぞかし憤慨するだろう感想をこっそり抱く。
雪生は口を開きかけてすぐに閉じた。ついいつもの調子でからかってしまったが、相手はあくまで病人だ。興奮させるのはよろしくない。
お互いの気持ちを確かめあってから数時間後。鳴は発熱した。
夏風邪ではなく慣れない恋愛沙汰で脳がオーバーヒートしたのでは、と雪生は踏んでいる。
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