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夏色の宝石 2

「まあ、とにかく食べろ。空腹だからそうやってかりかりするんだ」 「雪生が俺をかりかりさせてるんだけど!?」  鳴はまだなにか言いたげだったが、スプーンを差し出すとおとなしく口にした。  しばらくのあいだ無言で粥を食べさせる。 「……あのさ、雪生。じーって人の顔みてくるのやめてくれない? 食べづらいんだけど」  鳴は上目遣いに睨んできた。頬がますます紅潮しているのは熱が上がってきたからなのか、羞恥のせいなのか。  熟れた頬を齧ってみたい衝動がふつりと湧き上がる。 「ああ、すまない。食べる姿があまりにも可愛いからつい見つめてしまった」 「――――っ!」  がちっと音がした。鳴がスプーンを思いきり噛んだ音だ。 「鳴、いくらおまえでもスプーンは食べられないぞ」 「いくら俺でもスプーンなんて食べないよ! 雪生が変なこというからまちがって噛んだんだよ!」 「変なこと?」  雪生は首を傾げた。 「今の言葉のいったいどこが変だって言うんだ」 「えっ!? い、いや、その、あの、か、可愛いとかなんとかかんとか言ってたような気がしたから……。げ、幻聴だった?」 「それのどこがおかしいんだ。可愛いと思ったから可愛いと言っただけだ」 「っ……! ゆ、雪生、目がどうかしてるんじゃないの。可愛いっていうのは雪生の婚約者みたいな子のためにある言葉なんだよ」  婚約者とはいったい誰だ、と少し考えて、幼馴染みの姿が思い浮かんだ。そういえば鳴は祖父の誕生日パーティーで瑠璃に会っていたんだった。 「婚約者じゃなく婚約者候補だ。瑠璃が可愛い?」  雪生はふたたび首を傾げた。 「なにその不思議そうな顔。あの子、むちゃくちゃ可愛かったじゃない。アイドル顔負けレベルで」 「確かに整った顔立ちはしているが、可愛いと思ったことは一度もないな」  空になった茶碗に粥をよそい、スプーンを口許へ差し出す。 「俺がおまえを可愛いと思うのは、食べてるときの眼差しとか素直に口を開けるところとか、赤くなっている頬とか、そういうところだ。顔の造作の話じゃない」 「……そんなこと言われたらおかゆが食べにくいんですけど! 自分で食べるから貸して!」  鳴は雪生から茶碗とスプーンを奪うと、そっぽを向いて食べ始めた。  頬がますます赤くなっている。まるで熟した林檎みたいだ。  先ほどそっと押しやった衝動がふたたび湧き上がる。雪生は無言で顔を近づけると、鳴の頬へやんわり歯を立てた。 「ひゃっ! な、な、なに!? 今ほっぺ齧らなかった!?」 「おまえの頬が林檎みたいだから食べてみたくなったんだ」  微笑んで答えると、つい今まで真っ赤だった顔が一瞬で青くなった。 「俺の顔は食べ物じゃないから! 食べようとしないでくれる!?」  恐ろしそうな顔で雪生を凝視してくる。どうやら雪生が本気で頬を食べようとしたと思ったらしい。  雪生としては恋人同士らしい戯れのつもりだったのだが通じなかったようだ。まあ、相手が鳴ならしかたがない。常識が通用してしまったら、それはもう相馬鳴の皮を被った見知らぬ他人だ。 「さっきのごめんねは何に対する謝罪なんだ」  鳴があらかた粥を食べるのを見計らって、もう一度おなじ質問を繰り返す。鳴は茶碗とスプーンを土鍋の盆へもどすと、雪生へ向き直った。 「いや、俺が熱が出しちゃったからさ……。こんな調子じゃ明日もどこへもいけないし。田舎にひとりでいたって退屈だろ。だから、ごめん」  鳴は布団の上で深々と頭を下げた。 「俺はおまえを見ていれば退屈しないけどな」 「なにその珍獣を観察するみたいな言いかた」 「恋人の寝顔なんて、いくらながめても飽きるものじゃないだろ」  ただの本音だったのだが、なぜか鳴の顔に狼狽が走った。さっきは青褪めた顔がふたたび赤くなる。 「青くなったり赤くなったり忙しい奴だな」  雪生は呆れて呟いた。 「誰のせいだと……っていうか、雪生ってそういうキャラだった!? なんかキャラ変してない?」 「キャラ変? 初めて聞く言葉だけどいったいどういう意味だ」 「なんか科白がイタリア人みたいになってるって意味だよ。ひょっとして留学先アメリカじゃなくイタリアだった?」 「いや、アメリカだ」  鳴が目覚めてから今までの振る舞いにイタリア人らしいところなどあっただろうか。己の言動を振り返ってみたがよくわからない。  いきなりピザやスパゲティを作り出したのならともかく。

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