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夏色の宝石 3
「イタリア人らしいことを言ったつもりはないけどな。だいたいおまえがイタリア人に抱いているイメージがよくわからない」
「可愛いとか寝顔を見ていても飽きないとか。そういうのイタリアの人がいかにも言いそうじゃない。あっちの人って女の人なら誰でも口説くんでしょ。いや、俺は女の人じゃないけどさ」
「それくらい恋人が相手だったらどこの国でも言うだろ」
「いや、言わない。由緒正しい日本男子なら気恥ずかしくってとても言えない」
鳴は右の手の平を突き出して、重々しい表情で断言した。
雪生も日本男子に変わりないのだが、鳴の念頭にはないようだ。それとも帰国子女の雪生は由緒正しくないということなのか。
「だいたいさ、今までさんざん毒づいておきながらいきなり態度をがらっと変えられても、こっちだってついていけないよ。もうちょっと段階ってものを踏んでくれない?」
鳴は雪生を睨むように見つめてきた。
「しかたないだろ。好意をあからさまにすれば、いくら鈍くて察しが著しく悪いおまえでも、俺の気持ちに気づきかねないからな」
己の気持ちに気づいたのは五月上旬。ゴールデンウィークの最中だった。
あの夜は絶望のあまり一睡もできず、ひと晩じゅう鳴の寝顔を見つめていた。
あの夜のことはきっと死ぬまで忘れないだろう。
「俺の気持ちを知ったらそっちで頭がいっぱいになって、初恋の子が誰だったかなんてどうでもよくなるのは目に見えていたからな」
「……まあ、それはそうだと思うけどさ。雪生って意外と気が長いよね」
呆れたとも感心したともつかない声だった。
呆れられてもしかたがない。なにせ九年ものあいだ相馬鳴を見返すために努力に努力を積み重ねてきたのだから。
我ながら執念深いと呆れるくらいだ。
鳴との再会を疑うことはなかった。祖父の友人の孫なら居場所はいつでも調べがつく。
会いたい。あの生意気な子供を見返してやりたい。
親の後ろ盾なんかなくても、俺はこれほどすごいのだと思い知らせてやる。
ずっとそう思い続けてきた。
今になって気がついた。
俺はきっと『ゆきちゃんってすごいねえ』と、鳴に言って欲しかっただけなんだ。
「気が長くないとマヌケな鈍感男の相手はできないからな」
「……それってもしかして俺のこと?」
「おまえ以外に誰がいると?」
素っ気なく答えると、鳴はムッとしたように唇を曲げた。
裏表のない表情が可愛くて、思わず笑みが溢れる。その瞬間――
「うぐっ!」
鳴の顔に狼狽が走った。見てはならぬものを見てしまったかのように、素早く顔を背ける。
「どうして顔を背けるんだ。それになんだ、その世にも奇妙なうめき声は」
「え、いや、なんていうのか心臓によろしくないっていうか……。ほら、熱の上に心臓発作とかシャレにならないじゃない」
言っている意味がよくわからないが、相手が相手なので理解できないのはしかたがない。人間あきらめが肝心なので深くは考えないことにする。
「薬を飲むのを忘れてるぞ」
雪生は盆の傍らにおいてある瓶から錠剤を取り出した。
「自分で飲めないなら口移しで――」
「自分で飲めます」
きっぱりとした口調で言うと、雪生の手から薬を奪い取って口へ放りこむ。
グラスの水を飲む姿を見つめながら、どうしてこれほどまでに触りたくなるのか、と不思議に思う。
取り立てて可愛い顔立ちをしているわけではない。色気からはほど遠い。頭の先から爪先まで凡庸のひと言で形容できる。
それなのに雪生の目には鳴の一挙手一投足が可愛く映る。触りたい。抱きしめたい。キスしたい。再会したその日に生まれた欲望は、今もまだ増殖し続けている。
いくら触れても満ち足りない。もっと、もっとと心の奥底から声がする。
この先、鳴にどれだけ触れたとしても満たされるのは一瞬で、次の瞬間にはまた鳴を求めているんだろう。
恋なんて愚か者のするものだと思っていた。己が恋をすることなんて死ぬまでないだろうとも。
恋に落ちた今になって思う。愚かな己も悪くはない、と。
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