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夫婦は似ると言いますが
タピオカを初体験する鳴と雪生。生徒会室のワンシーン。
◇ ◇ ◇
「遅くなってごめんね」
爽やかな笑顔を浮かべて、爽やかに挨拶しながら入ってきたのは春夏冬の書記長、一ノ瀬太陽だ。なにやら両手に紙袋を提げている。
サッカー部所属でもある太陽は生徒会へ遅れてくることが多々ある。まだ汗の引ききらない顔をしているが、それでもじゅうぶん過ぎるほど爽やかだ。
さすがは生徒会の爽やか担当だけはある。鳴は心の中でひそかに称賛した。
「一ノ瀬先輩、お疲れ様です!」
がたんと椅子を揺らして太陽の奴隷たちが立ち上がる。その中には拉致監禁事件で親しくなった萩山の姿もある。
「みんなもお疲れ様。俺のいないあいだ代わりを務めてくれてありがとう」
太陽は奴隷相手にも労って礼を言う。
俺のご主人様とはえらいちがいだな、と思いながら、鳴は隣へ目を向けた。雪生は端麗な横顔を見せながら書類に目を通している。
「なんだ?」
鳴の視線に気がついたらしく、書類から顔を上げる。
「別にー。なんでも……っていてててててて! なんでいきなり頬をつねるんだよ!」
「腹の立つ目つきで俺を見ていたからだ。言いたいことがあるならはっきり言え」
「えっ、はっきり言っていいの? 萩山たちはいいご主人様を持って幸せだなー。それに比べて俺のご主人様は――っていでででで! はっきり言えって言ったの雪生だろ!」
「つねらないとは誰もひと言も言ってない」
鳴はひりひりと痛む頬を押さえながら、涙の滲んだ目で雪生を睨んだ。
まったくつくづくうちのご主人様は奴隷に優しくない。
「そこの奴隷、神聖な生徒会室で無駄に騒ぐなら出ていってくれないか。仕事の邪魔だ」
冷ややかな声に苛立ちをたっぷり含ませて言ったのは生徒会副会長の如月遊理だ。
虫けらを観るような眼差しで鳴を睨んでいる。
「す、すみません。失礼しまし――」
「桜、奴隷の頬をつねるのなんて素手でやる必要はないよ。君の手がけがれてしまう。次からはこのペンチを使いなよ」
遊理はどこからともなく大振りのペンチを取り出しすと、ごとりとテーブルへおいた。
鈍い銀色に光るそれを見て、背筋がぞわっと寒くなる。そんなもので頬をつねられたら、
「俺のほっぺがちぎれちゃいますよ!」
「君の顔面がどうなろうと僕の知ったことじゃない」
遊理はあくまでもどこまでもブリザードのように冷ややかだ。
「ありがとう、如月。それはありがたく借りておくことに――」
「しないでよ! いくらご主人様でも奴隷の頬を奪う権利なんてないからね!」
「おまえが頬をつねられるような真似をしなければ済む話だ」
雪生も雪生で遊理に負けず劣らずの冷ややかっぷりである。
鳴は北極と南極しかない世界へ放りこまれたような気分に襲われた。
(……俺、ほんとうにこの冷酷人とつき合ってるんだよね?)
みんなの前ではいままで通り振る舞って欲しい。そう頼んだのは鳴だったが、いままで通りにもほどがあるというものだ。
遊理にバレたら頬どころか全身の肉を毟られかねないので、ありがたいといえばありがたいのだが。
「相変わらず仲がいいね、ふたりとも」
鳴と雪生の間へ爽やかな声が割って入った。
見上げると、斜め後ろに青空さながらの笑顔を浮かべた太陽が立っている。
「はい、これ差し入れ」
太陽は手にしていたプラスティックのカップをふたりの前へそれぞれおいた。ミルクティーらしき飲み物の下に黒っぽいつぶつぶが沈んで居るのが見える。
紙袋の中身はこれだったらしい。見ればすでに全員に行き渡っている。
「えっとこれって今をときめくタピオカですか?」
「タピオカ? この蛙の卵みたいな物体が?」
どうやら雪生はタピオカを目にするのは初めてらしい。カップを手にとってしげしげとながめる。
いきなり「ずごごごご」という凄まじい吸引音が聞こえた。何事かと思って視線を向けると、翼が残り少なくなったタピオカを必死で吸い取ろうとしている音だった。
「翼、飲みにくいならスプーンを使いなよ」
「……でも、それはタピオカに対して狡いから」
そう言って、どうにかストローで吸いこもうとする。
(狡いの意味はよくわからないけど、なんだか翼らしいなあ)
先輩相手なのに微笑ましくて口元がつい緩んでしまう。
「相馬君、ぬるくなっちゃうまえに飲んじゃってよ。桜も、いつまでも観察してないでさ」
「ああ、そうだな。いまにもおたまじゃくしが生まれてきそうだからついながめてしまった」
「ちょっと! これから食べる物に変なこと言わないでくれる!?」
鳴は雪生を睨んでからカップを手に取った。
「俺、タピオカって生まれて初めてです。いただきまーす」
太いストローを加えて吸いこむと、ミルクティーと一緒にタピオカが口へ入ってきた。
(こ、これは――!)
「すっごくもちもちしてますね!」
「非常にもちもちしてるな」
鳴は思わず雪生を見た。雪生も鳴を見ている。
「ふたりともほんっとに仲が良いね」
太陽はクスッと笑うと楽しげに呟いた。それにつられたように、この場に居る他の面々も笑い出す。
翼の顔にまでめずらしく微笑が浮かんでいる。遊理の顔は――恐ろしくて目を向ける勇気はない。
ただの偶然の一致なのだが、実はつき合っているだけになんとも言えず気恥ずかしい。顔が赤くなっているのが鏡を見なくてもわかる。
「……おまえと同レベルの感想を口にしてしまうなんて」
隣へ目をやると、雪生は額に片手を当てて愕然としていた。ずいぶんなリアクションである。
「それどういう意味なの」
「……進化の過程を逆に辿ったような気分だ」
「だからそれどんな気分だよ」
「ダンゴムシになった気分、と言えばわかるか?」
鳴は能面になった。
それが仮にも恋人に対する態度か、と言ってやりたいがこの場で口に出せば身の破滅だ。
部屋にもどったら小一時間説教してやる。
鳴は心に誓うと、残りのタピオカミルクティーを思いきりよく吸いこんだのだった。
*** おしまい ***
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