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ラムネ瓶と子供のらくがき 3

「…………」 「…………」  テーブルに沈黙が下りる。  そろそろと雪生へ目を向けると、雪生は呆れきった表情で鳴を見ていた。 「おまえの話はあてにならないにもほどがあるな。客じゃなく店員が焼くんじゃないか」 「い、いや、だって、俺がいままでいったことのあるお好み焼き屋さんは、自分たちで焼くところばっかりだったし!」 「なにが勝負だ。お好み焼きにかける俺の意気込みをどうしてくれるんだ」  どうやら雪生は本気の本気で勝負に挑むつもりだったらしい。  やっぱり根はかなり単純にできているようだ。  それから十数分後――  豚玉と海鮮デラックスが見事に完成した。  鉄板に流れ落ちたソースの甘く芳ばしい香り。お好み焼きの上で踊るかつお節。  思わずごくっと喉がなる。 「うわー、美味しそう! いっただっきまーす!」  鳴はヘラでお好み焼きを切り分けると、ヘラにのせて口へ運んだ。お好み焼きはヘラで食べるのが相馬家流だ。  そうやって食べるものだと思ったのか、雪生も鳴を真似て、ヘラで口へ運ぶ。 「……んんっ!? こ、こ、これは、美味いっ! ソースとマヨネーズが奏でる麗しきハーモニー。これぞお好み焼き。それにこの絶妙な焼き加減。さすがはプロが焼いただけのことはある」 「ジャンクな味だけど、確かに美味しいな」  雪生も素直に認めた。  セレブなのに庶民の味も理解できるのは雪生の長所だ。 「そっちの味も気になる。少し交換しよう」 「うん、いいよ。豚玉と海鮮デラックスじゃ、等価交換にはならないけど――ってちょっと!」  雪生は豚玉を小さく、海鮮デラックスは大きく切り取った。切り取った海鮮デラックスを鳴の前へ押しやる。 「雪生、そんなにくれなくっていいよ。雪生が足りなくなるじゃない」 「食いしん坊のくせに遠慮するな。おまえこそ一人前じゃ足りないだろ」  目の前に差し出された海鮮デラックスをじっと見つめる。  お好み焼きを押しつけられたみたいに、心が痛いほど熱くなった。 「こういうのってさ――」  愛だよね。  浮かんだ言葉を口に出すのは不可能だった。  雪生は口は悪いが、愛情表現はいつも豊かだ。ときとして鳴が困るほど。  ……なんだか男として、いや、恋人として負けている気がする。  お好み焼き勝負はできなかったけど、恋人としての勝負は雪生の完勝だ。  鳴は嬉しさと悔しさの綯交ぜになった複雑な思いを、海鮮デラックスとともに噛みしめた。 「どうもありがとうございましたー!」  店員の声を聞きながら外へ出る。 「鳴、どうやらおまえの言ったとおり、自分で焼いて食べる店もあるみたいだな」  雪生はスマートフォンを操作しながら言った。どうやらお好み焼き屋について調べているらしい。 「え? ああ、うん、自分で焼くところもけっこうあるよ」  雪生が駅へ向かって歩き出したので、つられて歩き出す。 「次の週末、自分で焼く店にいって改めて勝負しよう。このままじゃお好み焼き勝負にかける意気込みのやり場がない」 「え、」  鳴がお好み焼き勝負をしようと思ったのは、これなら勝てると思ったからだ。  雪生は自分で焼いてこそいないが、お好み焼きを作るところを目の前で見ていた。怖ろしく頭のいい雪生のことだ。お好み焼きの焼き方をすっかり学習してしまったに違いない。  勝てる気がしない。 「えーっと、お好み焼きはもういいんじゃない? 今回は引き分けってことで。あ、じゃあ、次はたこ焼き勝負にしようよ」  鳴もたこ焼きは焼いたことがないが、雪生にとって未知の分野のほうがまだまともな勝負になりそうだ。  雪生は得意げな表情でふふんと笑った。 「この俺にたこ焼きで勝負を挑むとはいい度胸だな」  ……なんだこの反応。まさかたこ焼きを焼いた経験があるとでも? 「ひょっとして雪生、たこ焼きを焼いたことがあるとか……?」 「たこ焼きは弟の好物なんだ。家にはたこ焼き器もある。弟にせがまれて何度か焼いてやったが、なかなか楽しかった」  セレブのくせに自宅でたこ焼きを焼くとか、庶民みたいなことをしないで欲しい。庶民の迷惑だ。 「よし、じゃあ、次の週末はたこ焼きで勝負だな。店は俺が探しておいてやる」 「えっ、あ、ちょ――や、やっぱりたこ焼き勝負はやめて、他のことにしない?」 「鳴、一度言い出したことを覆すのは男らしくないぞ。俺にたこ焼きを焼いた経験などあるはずがないと高を括ったんだろうが、あてが外れたな」  雪生は不敵に微笑んでいる。  どうやら鳴の魂胆などお見通しだったようだ。 「負けたときの罰ゲームはなにがいい?」 「ば、罰ゲーム!? さっきはそんなこと言い出さなかったじゃない。ちょっと自分が勝てそうだからって――」 「いま思いついたんだ。そうだな、おまえの頬がどこまで耐えられるか、装置を用意して実験してみるか」 「わざわざ装置まで準備してすること!?」 「街中で大道芸を披露するのもいいな。おまえの滑稽な姿はしっかり録画しておいてやるから安心しろ」  雪生はわざとらしいまでににこやかに微笑んだ。  通りすがりの男性は魅入られたように雪生を見つめながら通り過ぎていったが、そんな笑顔、鳴には腹立たしいだけだ。 「安心できるわけないでしょ! だいたいなんで俺がやることが決定してるわけ!?」 「それとも一日メイドの格好で過ごすというのはどうだ。メイド好きのおまえにぴったりだろ」 「勝手に人をメイド好きにしないでくれる!?」  ひょっとして翼とふたりでメイドカフェにいったことを根に持っているんだろうか。意外としつこい男だ。 「言っておくけどね、雪生が負けたら雪生が罰ゲームをやるんだからね。わかってんの!?」  鳴の科白に優美な笑みで応える。 「安心しろ、鳴。この俺はマヌケ相手に負けたりしない」  マヌケに恋した己はマヌケじゃないとでも言うつもりか。  鳴はギリギリと歯を噛みしめた。 「よーし、わかった! その勝負受けて立ってやる! 雪生が負けたら一日俺のメイドさんだからな! たっぷりこき使ってやるから覚悟しておけよ!」  こうなったら意地でも負けるわけにはいかない。  鳴は余裕綽々と言わんばかりの雪生の顔をギッと睨んだ。  庶民の意地にかけて勝ってやる――!  果たして結果はどうだったのか。  スカートがあんなにすーすーするものだなんて知らなかった、という鳴の感想だけを記しておくことにする。 *** おしまい ***

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