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世界の果てでおにぎりを 1

『お風呂でいちゃいちゃする雪生と鳴』というリクエストをいただいて書いたお話です。  ◇ ◇ ◇  にわか雨がアスファルトを叩きつける。  鳴は愛犬のマルガリータに引っ張られながら雨の中を走っていく。傘はない。散歩からの帰り道、突然の夕立にみまわれたのだ。  大粒の雨はアスファルトを、鳴を、マルガリータを、そして雪生の身体を痛いくらいの勢いで叩きつける。 「ちょっ……! 待ってよ、マルガリータ……!」  マルガリータが全力疾走するので鳴はときどき足をもつれさせそうになった。  雪生はというと、鳴の少し前をマルガリータと併走しながら走っていく。この完璧超人は足の速さもスポーツ選手レベルのようだ。  やっと家の前までたどりついたころにはふたりと一匹は全身びしょ濡れだった。 「……あー、ひどい目にあった。天気予報じゃ雨が降るなんていってなかったのに」  鳴は玄関の屋根の下でTシャツの裾をしぼった。足許に水がびたびたと滴る。 「夏は天気が不安定になりがちだからな。それにこのごろの日本は熱帯化が進んでいる。余計に天候を読むのは難しいんだろう」  雪生も同じく黒いシャツの裾をしぼっている。  雨に濡れた前髪を掻き上げる。何気ない仕草に溜るような色気を感じてしまい、鳴はあわてて目を逸らした。  ……俺、この人とつきあってるんだよな。  両想いだとはっきり確かめ合ったはずなのに、どうもいまいち実感が湧かない。というよりもあの日以来すべてにおいて現実感がともなわないのだ。  爪先が地面から数センチ浮いているような浮遊感。頭の中も熱があるときみたいにふわふわぼんやりしている。 「うわっ! ちょ、マルガリータ!」  マルガリータがぶるぶる身体を震わせて、水しぶきが思いきり顔にかかった。  なんだか愛犬に、 『色ボケしてんじゃないよ、ご主人』  とツッコミを入れられた気分だ。  ふたりと一匹は風呂場に直行した。散歩に出かける前に湯沸かしのスイッチを入れておいたのは正解だった。  家の中がしんと静まり返っているのは、両親がきのうから旅行に出かけているからだ。祖父は家に残っているが、まだ工場から帰ってきていないらしい。  鳴と雪生の、そしてマルガリータの足音がひたひたと響く。鳴の家に雪生がいる。このごろではそれが当たり前の光景になりつつある。最初に雪生がこの家をおとずれたときは騙し絵を見ているような気分にさせられたのに。人間という生き物はどれほどの異常事態にもいずれは慣れるようにできているらしい。  雪生は脱衣所に入るとためらうことなく衣服を脱ぎ始めた。白い肌が目に映り、あわててさっと顔を逸らす。 「……えーっと、じゃあまあ雪生からお先にどうぞ」 「どうしてだ。いっしょに入ればいいだろ」  雪生はこともなげに言うが、いくら男同士とはいえ恋人同士でもあるのだ。全裸で向き合うのはまずい気がする。 「いやっ、ほら、我が家のお風呂は寮のお風呂とちがって狭いから」 「ふたりで入れないほど狭くないだろ。のろのろしていると風邪を引くぞ。ほら、さっさと脱げ」  雪生の手が濡れたTシャツの裾にかかる。 「ちょ、ちょっとま――人の服を脱がさない! 自分で脱げる! 脱げるから!」  雪生からTシャツの裾を取り返すと、肌に張りついたシャツを剥ぎ取るように脱ぐ。 「先に風呂へいってるぞ。ほら、マルガリータ、いっしょにいこう」  雪生は優しい顔で鳴の愛犬に微笑みかけると、浴室のドアの向こうへ姿を消した。  思わずほーっと息を吐く。  鳴はいささか複雑な思いで閉じたドアを見つめた。 (……なんか雪生ってちっとも態度変わらないよな。冷静っていうか冷淡っていうか……。ドキドキしてるの俺だけなのかな)  あの熱情溢れる告白は夢まぼろしだったのでは、と思えてくる。  祖父の実家から帰ってきたのは二日前。あれからというものキスのひとつもない。雪生の態度は恋人同士になる前と少しも変わりなかった。  実家でべたべたされても困るといえば困るのだが、恋人同士になる前のほうがずっとスキンシップが多かったというのもどうなのだ、と思ってしまう。  鳴は腰にタオルを巻いてから浴室へ入っていった。雪生と風呂に入るのは今日がはじめてというわけではないが、恋人同士になってからははじめてだ。素っ裸を見られるのはなんとなく恥ずかしい。  雪生は湯船につかり、マルガリータにシャワーをかけてやっていた。マルガリータは気持ちよさそうに目を閉じて、お湯をかけられるままになっている。 「おまえはほんとうに可愛いな、マルガリータ。それに主人に似ずとても利口だ」  穏やかな笑みを浮かべながら相変わらずの憎まれ口を叩く。それが恋人に対して言うことか、と言ってやりたかったが恥ずかしくてとても言えない。  鳴は雪生を睨みつけながら湯船につかった。 「言っとくけどマルの主人はじいちゃんだからね。じいちゃんが拾ってきた犬なんだから」 「そうか、だからこんなにも利口なんだな」 「……雪生ってつくづくひと言多いよね。口の悪さが災いしてタンスの角に足の小指をぶつければいいのに」 「口の悪さと足の小指にどんな因果関係があるっていうんだ。……でも、そうか。マルは捨て犬だったんだな」  整うだけ整った顔にいたましそうな表情が浮かび上がる。相手が犬だと素直な同情心を持ちあわせているらしい。その優しさを少しはこっちにもよこして欲しい。

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