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世界の果てでおにぎりを 2

「近所の河原をうろうろしてたのをじいちゃんが見つけてつれて帰ってきたんだよ。ひどい皮膚病にかかっててさ。病院につれていったら治療のために全身の毛を剃られちゃったんだよね」  あのころのマルガリータは今の姿からは想像がつかないほど貧相だった。なにせ痩せこけているわ皮膚病だわ、おまけに全身の毛がないわで、いったいこの後どのくらい生きられるのかと本気で不安になったものだ。 「……おい、鳴」  雪生はゆるく眉をよせて鳴を見ている。 「まさか丸刈りになったからマルガリータと名づけた、などとは言わないよな……?」 「それがなどと言うんだよね。さっすが雪生、よくわかったね。丸刈り姿があんまりにも印象的だったからさ。まさかマルガリータが女の子の名前だとは思わなかったなー」 「そういう問題じゃない。もう少しまともな名前をつけてやれなかったのか? マルにとっては嫌な思い出だろうに」  そう言われてしまえばそうなのだが、鳴としては逆境を乗り越えて長生きして欲しいという思いをこめてのネーミングだったのだ。 「……まあ、いい。おまえに常識を求めるのは愚かというものだからな」  雪生はあきらめたように溜息を吐いた。湯船がちゃぷんと揺れる。 「非常識の権化に非常識あつかいされたくないよ」 「なにを言う。俺くらい常識をわきまえた人間はめずらしいくらいなのに」  どうやら雪生には非常識なだけではなく客観性が皆無という欠点もあるようだ。 「……あのさ、雪生」 「なんだ」 「えーっと、あの、その……や、なんでも――」 「言いかけてやめるようなもったいぶった真似をしてみろ。罰として右頬を引きちぎるからな」 「ちょっと! 罪に対して罰が重すぎない!?」  思わず立ち上がりかけたが、全裸だったことを思い出して慌ててしゃがみこむ。 「言いたいことがあるなら言え。ためらいなんておまえには似合わないぞ」  雪生は悠然と微笑んで鳴を見つめている。恋人と風呂に入っているというのに、その顔には動揺の欠片もない。 (なんだかだんだん腹が立ってきたな……。俺は雪生のせいで動揺、動揺、また動揺の日々なのに。なにひとりで涼しい顔してるんだよ)  鳴は顔つきを引きしめると雪生の顔をキッと睨みつけた。 「じゃあ、はっきり言うけどさ。雪生、俺とこ、こっ、こここ――」 「いきなり鶏の鳴き真似をしてどうしたんだ。そんな真似をしなくてもおまえが鳥頭だということくらい知ってるぞ」 「鶏の真似じゃないよ! 俺は俺と雪生は恋人同士なんだって言いたかったんだよ!」  振り上げた拳が湯船にぶつかり、湯が大きく跳ねた。 「それがどうしたんだ」 「俺たちつきあってるんだよね!? それなのになんなのそのしらーっとした態度。はっきり言って俺は今もすっごくドキドキしてるんですけど!? まあ、だんだんとドキドキがイライラに変わりつつあるけどさ。それなのになんて雪生はそんな平然とした態度なわけ!?」 「いきなりなにをキレてるんだ、おまえは。……ああ、そうか」  納得したようにつぶやいたかと思うと、いきなり鳴に身を寄せてくる。 「えっ――ちょ、ちょっと!」  鳴は思わず逃げようとしたが、平凡なサイズの湯船では逃げ場もない。背中が浴槽にぺたっと張りついただけだ。 「つまりおまえは恋人同士になったのに、スキンシップがまるで足りないと言いたいんだな」 「そうじゃな――いや、そうだけど、いきなりくっついてこないでくれる!? 心臓に悪いでしょ!」  雪生は鳴を閉じこめるように浴槽へ右手をついた。 「ちょ、ちょっと! ちか、近いって!」  素肌と素肌が触れる。痛みを感じるくらい鼓動が激しい。  余計なことを言ってしまったのだと、鳴はやっと気がついた。 「自宅にいるのに恋人らしく振る舞われても困るだろうと思って控えていたんだ。でも、まあ今はふたりきりなんだから、少しくらいはかまわなかったな」 「いや、ちょ、いきなり過ぎるでしょ! そっちはかまわなくてもこっちはかまうんだけど!」 「恋人らしく振る舞えと言ったりくっつくなと言ったり。いったいどっちなんだ」  笑みを浮かべた唇が近づいてきて、逃げる余地もなく鳴の唇に押しつけられた。条件反射でぎゅっと目を閉じてしまう。  唇は触れては離れ、離れてはまた触れる。  柔らかな感触に誘われるようにして口を開けると、雪生の舌が入りこんできた。 「……っ!」  思わず雪生の肩をつかんで押し返す。が、細身ながらに引き締まった身体はびくともしない。  舌を舌にこすりつけられて、奇妙な感覚が口の中ではなく腰に響く。雪生の片手が腰骨を撫でていることに気づき、全神経がびっと引き攣った。  ヤバい。まずい。このままではいつものパターンだ。 「ゆっ、ゆ、雪生!」  鳴は全力をふりしぼって雪生の身体を引き剥がした。 「どうしたんだ。まだなにもしてないぞ」  雪生は不思議そうな表情で鳴を見ている。 (いやいやいや! じゅうぶんエロいことしたでしょ! 雪生のエロに関する感覚どうなってんの!?) 「あっ、あのさ! 俺、前から雪生に言いたいことがあって」 「それは今この局面で言うべきことなのか?」 「そうだよ! ぜーったいにっ! 今言っとかないといけないこと!」  鳴の声が浴室に反響する。鳴の勢いに圧されたのか、雪生は反論してこなかった。 「あ、あのさ、俺だってこういうことに興味がないわけじゃないよ。っていうかはっきり言ってしっかりあるよ。健やかなる青少年としてはやっぱりいろいろ興味っていうか好奇心っていうか、す、好きな人とはさ、ほら、あれじゃない」 「なにを言ってるかはよくわからないが、言いたいことはよくわかった。興味があるのにどうして止めたりしたんだ」  雪生の疑問はもっともだ。鳴は呼吸を落ちつけると、改めて目の前の整うだけ整った顔を見つめた。 「俺さ、もしも彼女ができたら大喜びで家族に報告したと思うんだよね。報告して、家にも招待して……。だから、雪生のこともちゃんと家族に報告したい」  まっすぐ目を見つめて言葉をぶつける。雪生はいささか驚いたらしく両目を軽く見開いた。

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