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世界の果てでおにぎりを 3
「俺と雪生は男同士だけどさ、こそこそ隠すようなことじゃないって思うから。こういうことは家族にちゃんと報告してからにしたいなって……。じゃないとなんだか悪いことをしているみたいな気がするから、そういうのは嫌なんだ。正々堂々って言ったらおかしいけど、雪生とのことは隠したりしたくない」
「……おまえらしい考えだな」
雪生は呆れたようにつぶやいたが、口調とは裏腹に柔らかな笑みが顔に広がった。
今この瞬間を写真に撮ってオークションにかけたら恐ろしいほどの高値がつくはずだ。そんな真似をしようものなら間違いなく両頬を引きちぎられるだろうが。
「うちの家族は見ての通りごくふつーの人たちだし、息子が男の子とつきあうとか考えたこともないと思うから、ひょっとしたらなにか言われちゃうかもしれないけど……。い、いいかな?」
「好きにしろ」
雪生の言葉と表情はやっぱり裏腹だ。口調はぞんざいなのに鳴を見つめる瞳は優しい。愛しげと言いたくなるほど。
頬が熱くなるのを感じて鳴は目を逸した。
「じゃあ、俺も家族に報告しないとな」
「え?」
「おまえが家族に報告するのに、俺がしないのはフェアじゃないだろ」
それは確かにそうだが、一庶民の鳴と大企業の御曹司では衝撃の度合いが大違いのはずだ。
下手をしたらSAKURAの権力でもってして闇へと葬り去られるということも――
(いやいやいや! それはない……よな……? いくらSAKURAが世界有数の大企業だといっても……。いや、でも、いやいやいやないないないって!)
「で、でも、大丈夫なの? 俺をこ、恋人として家族に紹介したりして。ご両親に怒られたり勘当されたりしちゃわない?」
「さあな」
雪生はあっさりと言った。
「どういう反応をされようが、それはまあどうでもいい。この先、俺とおまえはずっといっしょにいるんだ。いずれは両親にもわかるだろう。それが十年後だろうが明日だろうが、それほど変わりはない」
生まれて初めての恋に途惑ってばかりの鳴とはちがい、雪生はふたりの未来を当たり前のように口にする。その黒々とした瞳にはいったいどんな未来が映し出されているのだろう。
(……俺、十年後も雪生の隣にいられるのかな――いや、いるのかなじゃなくって、いられるようにがんばらないといけないんだ)
そのためにはまずアメリカの大学へ進学しなくてはならない。
(アメリカの大学のテストって英語で書かれてるんだよね……。テスト問題が解ける解けない以前にまずは問題文を読めるようにならないと……。それに英会話もできるようにならないと……)
考えただけで頭が痛くなってくる。
「まあ、最悪でも勘当されるだけだから安心しろ」
「いや、それちっとも安心できないんだけど」
呆れてつぶやくと、顎をくいっと持ち上げられた。悪戯っぽくきらめく瞳に見つめられて、心臓がきゅうっと鳴き声を上げる。
「おまえひとりがいればいい、という意味だ」
甘ったるい言葉を囁きながら唇が近づいてくる。鳴は胸のときめきのままに目をきつく閉じた。が――
「うわっ! つめたっ!」
冷たい水しぶきが顔にかかりぎょっとして目を開けると、浴槽のへりに前脚をかけている愛犬と目が合った。どうやら水しぶきを上げたのはマルガリータらしい。
そういえばマルガリータがすぐ傍にいたんだった。
(キスしているところをマルに見られちゃった……。犬なんだから意味はわからないだろうけど、なんだか無性に恥ずかしい……)
「ああ、悪かったなマルガリータ。おまえの存在をわすれていたわけじゃない」
雪生は穏やかな口調で鳴の愛犬に話しかけた。
「おまえのご主人――いや、ご主人じゃなくって友人はじきにアメリカへいくことになる。マル、おまえはどうする? 鳴についてアメリカまでくるか?」
マルガリータは「くぅん?」と鼻を鳴らした。と思ったら、ふたたび盛大に身体を震わせた。
「わかったわかった。そろそろ出よう。おなかが空いたんだな、マルガリータ」
雪生が笑いながら立ち上がると、マルガリータは尻尾をぶんぶんと振り回して「わん!」と吠えた。
今から数年後――
ひょっとすると鳴はマルガリータと共にアメリカの大地に立っているのかもしれない。今まで一度だって予想しなかった未来が、ありありと浮かんで見える。
「俺もおなかが空いちゃったよ。おかずは母さんが作ってくれていったから、俺がおにぎり握るよ。雪生、何個食べる?」
この先、どんな未来が待ち受けているのか、今はまだわからない。わかるのは隣に雪生がいるということ。そして――
(アメリカだろうが北極だろうが、どこにいったっておにぎりの材料だけは持っていかないとね)
どこにいこうとおにぎりを握って雪生と食べるだろうということだけだ。
*** おしまい ***
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