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月の欠片 2
「俺は根が素直だからな」
「そういうの素直って言う!? ……まあ、楽しかったのならよかったけどさ。じゃあ、次はスカイツリーにいってみない? 実は俺まだのぼったことないんだよね。雪生もいったことがないって前に言ってたでしょ」
思わず能面になる。
日本科学未来館にスカイツリー。まともだ。まともすぎる。まともな鳴なんてまともではない。
「……だから、その顔なに。スカイツリーが嫌ならはっきり言ってよ」
「スカイツリーが嫌なわけじゃない。おまえといっしょなら俺もいってみたいと思ってる」
「じゃあ、なんなのその顔」
「鳴、おまえ熱があるんじゃないか?」
雪生は鳴の額に手の平を当てた。伝わる体温は熱くもなければ冷たくもない。
「なにいきなり。熱なんてないよ。雪生こそ熱でもあるんじゃないの」
サプライズを企んでいるものとばかり思っていたのに、提案されたデートコースは実にまともだ。いや、この場合まともであることがサプライズだと言える。じっさい雪生はじゅうぶんすぎるほど驚かされた。
「……なるほど、そういうことなのか?」
「なにひとりで納得してるんだよ。体調が悪いんならもう家に帰ろうよ」
鳴は心配そうな顔で雪生を見つめている。せっかくのデートなのに、あまり心配させるのはよろしくない。なにせ鳴から誘ってくれたのはこれが初めてなのだ。
特別な一日にしたかったし、そうなるはずだった。
「いや、大丈夫だ。少々驚かされただけで」
「……いまなんか驚くようなことあった?」
鳴は怪訝な表情だったが、それ以上問いつめようとはしなかった。
スカイツリーについたときには、太陽は西に傾き始めていた。雪生は周囲の建物から頭ひとつどころか十くらい飛び出た塔を見上げた。確かに高いタワーだが、高いというだけでわざわざのぼりたいとは少しも思わない。高みからの景色なら飛行機の中からさんざん見てきている。
鳴に誘われなかったら永遠におとずれることはなかっただろう。
ふたりは天望デッキと天望回廊がセットになったチケットを買うと、エレベーターで天望デッキへ向かった。
天望デッキは高さ三五〇メートルのところに作られていて、全面が硝子張りになっている。雪生は、
(なるほど、なかなかの迫力だな。それなりの金をとるだけのことはある)
素直に感心した。
「わああああ! すごいながめだね。街とか車があんなに小さく見える!」
鳴は硝子の壁にべたっと両手をつけて、子供みたいにはしゃいだ声を上げた。鳴のはしゃぎようがおかしかったらしく、近くにいた女性客たちがこちらを見ながらくすくすと笑っている。
「ね、ね、雪生、すごくない!? さすがに景色だけで何千円もとるだけあるよね!」
天真爛漫というべきか、精神年齢が幼稚園児というべきか。恥ずかしい奴めと心で毒づきつつも、雪生の口許もついつい緩んでしまう。
「おまえが高いところからのながめがそこまで好きだとは知らなかった」
高校を卒業してアメリカでルームシェアすることになったら、高層マンションの最上階で暮らすことにしよう。雪生はひそかに決意した。
「いや、特別好きなわけじゃないけどさ。高いところにのぼるとテンションも比例して上がるでしょ、誰だって」
「俺は特に上がらないけどな」
「そもそも雪生がハイテンションになることなんてあるの? なんか想像がつかないんだけど……。演技でもいいからやってみせてよ。うわわわわー! 俺、こんな景色見るの初めてー! すごーい! みたいな感じで。ほら、やってみて」
はい、どうぞ、と促すように手を差し出してくる。
「俺におまえと同レベルまで落ちろというのか。呑気な顔でずいぶんと酷なことを言ってくれるな」
「雪生こそ表情ひとつ変えずに酷なことを言ってるんですけど!?」
鳴はムッとしたように唇を曲げると、天望回廊行きのエレベーターに向かって歩き出した。
夏休みということもあってか、デッキやエレベーターはかなりの混雑ぶりだ。雪生たち――というよりも雪生に向けられる視線は多かったが、人からじろじろ見られるのは慣れている。そよ吹く風だと思えば気にもならない。
「うわーっ! エレベーターも硝子張りなんだ! すごいすごい!」
鳴ははしゃいだ声を上げながら、シースルーのエレベーターへ乗りこんでいく。他の客たちもどよめきの声を上げたが、鳴の声がいちばん大きく、いちばんテンションが高い。そのことをちょっとだけ自慢に思ってしまい、自分で自分に苦笑する。親バカの心情はこんな感じだろうか。
「高いところからの景色が特に好きなわけじゃないなら、どうしてここを選んだんだ」
エレベーターを出ると、雪生は鳴に訊いてみた。
日本科学未来館という選択はまだわかる。宇宙飛行士を目指している雪生の嗜好を考えての選択だろう。
スカイツリーというあまりに定番なデートスポットを選んだのはなぜなのか。鳴らしくなさすぎてどうしても気になる。
「雪生がのぼったことないって言ってたの思い出したから。俺ものぼったことなかったし。ふたりで一緒に初めてのことができるのって嬉しくない?」
だから別にスカイツリーじゃなくってもよかったんだ。ふたりとも未体験の場所なら。
鳴がそう続けるのを、雪生は無言で聞いていた。
「……あのさ、さっきからそうやって真顔になるのなんなの。言いたいことがあるならはっきり言ってよ。いつもいつもズケズケ言うくせに、今日の雪生ちょっとかなりだいぶ変だよ」
「気にするな。キスしたいという衝動と必死で戦っているだけだ」
「キ……? って、えっ――」
ふたりの足は天望回廊の途中で自然と止まっていた。ふたりの横を他の客たちが通り過ぎていく。
「いま全然そんな雰囲気じゃなかったでしょ! 家の外で変なこと言わない! ここはアメリカじゃなく日本なんだからね」
鳴は耳の端を赤く染めると、逃げるような足取りで回廊を進んでいった。
キスしたわけでもなんでもなく、キスしたいけど我慢していると言っただけなのに。雪生は肩を竦めると、鳴の後をついていった。
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