予想はしていたし覚悟もしていたつもりだったが、ただ歩いているだけで敵愾心のこもった視線を向けられるのはやっぱり応える。これまでの人生、良くも悪くも注目を浴びたことなどなかったので尚更だ。 　鳴は肩を小さくして俯きがちに廊下を歩いていく。 「……ほら、あれが桜会長の」 「えっ、嘘だろ。あんな平凡そうな子が桜会長に選ばれるはずがないよ」 「嘘じゃないよ。昨日、入学式の手伝いをしていた友達が携帯で画像を送ってくれたんだから」 「ああ、その画像なら僕も見たよ。昨日のうちに学校中に広まってるみたいだね」 「しかも、今年度の桜さんの奴隷はあれたったひとりなんだって？」 「おまけに桜さんのルームメイトなんだろ」 「いったいどんな卑怯な手を使ったんだ」 「あんな平凡な奴が桜会長の奴隷だなんて」 「許せない」 　廊下ですれ違う生徒ほぼ全員が鳴へ視線を向ける。好意的な視線はひとつもない。胡散臭そうな嘲るような妬ましそうな視線、視線、視線。 　視線に貫かれて胃に穴が空きそうだ。 （あのね、言っとくけど選ばれたくて選ばれたんじゃないからな！　だいたい奴隷なんて羨ましがるような立場じゃないでしょ！　奴隷だよ、奴隷！？　罵られたりキスされたり股間を揉まれたり、さんざんな目に遭わされるんだぞ！？　羨ましがる余地なんて一ミリだってないよ！） 　そう怒鳴り散らしたかったが、そんなことを叫ぼうものなら火に油を注ぐのは確実だ。 　鳴にはまったくもって理解不能だが、この学園の生徒たちは桜雪生の奴隷に選ばれたくてたまらないらしい。 　憧れてやまない立場を手に入れたのに、鳴がそれを少しもありがたがっていないと知ったら暴動がおこりかねない。私刑にかけられるのは絶対に避けたい。 　鳴は１ーDのドアの前で立ち止まった。今日から一年間、この教室で勉学を学ばなくてはならない。 　どうかひとりくらいは友達ができますように、と祈りながら教室のドアを開ける。 「お、おはよー……！」 　愛想は良くしておくに越したことはないだろう。鳴は少々引きつり気味だったがにこにこ笑いながら教室に入っていった。 　鳴の姿に気がついたクラスメートたちはざわっと揺れた。 「おい、あれ……」 「ああ、桜会長が選んだ今年度の奴隷だ」 　ざわめきは徐々に大きくなっていく。 「どうしてあいつが選ばれたんだよ」 「あれでいいなら僕のほうがまだマシなのに」 「俺だってあいつよりはまだマシだよ」 「僕だって」 「俺のほうが」 「なぜ僕じゃなくってあんな奴が」 　この調子では友達を作るどころか敵を作らないようにするだけで精一杯かもしれない。 　鳴が絶望しかけた時だった。 「相馬くん……！」 　聞き覚えのある声が鳴を呼んだ。 　ハッとして声の方向へ目をやると、同室になるはずだった小柄な少年が鳴に向かって手を振っている。親しみのこもった笑顔のどこにも鳴に対する敵愾心は見当たらない。 「あ、おはよう！　えっと――」 　そういえば名前はまだ聞いていなかったことを思い出しながら、小走りで近寄る。 「瀬尾だよ。瀬尾朝人（せお あさと）。あれから部屋にもどってこなかったけど大丈夫だった？」 「あ、うん、いや」 　大丈夫だったかどうかと問われればまったくもって大丈夫ではなかったが、朝人に愚痴を言ってもしかたがない。 「大丈夫だったよ。とりあえずこうして生きてるから」 「いや、それ最低限すぎるよ。桜先輩と同じ部屋で暮らすことになった、って噂で聞いたけどほんとう？」 「……ああ、うん、なんだかそうみたい」 　前の席に座りなよ、と朝人に促されて素直に腰を下ろす。 「相馬君って桜先輩と知り合いなの？」 「ぜんぜん。まったくの初対面だよ」 「受験組で初対面なのに、桜先輩の奴隷に選ばれたんだ。……相馬くんって凄いね」 　朝人の声には素直な感嘆がこもっていた。鳴は、ははは、と力なく笑った。 「相馬君は受験組で春夏冬のことまだよくわかってないでしょ。僕でよかったら色々教えるから頼ってよ」 　朝人はそう言って鳴に微笑みかけた。 「瀬尾君……！　ありがとう……ありがとう！　このご恩は一生忘れないから！」 　鳴は思わず朝人の両手を握り締めた。地獄で仏とは正に朝人のことだ。 　なんだか朝人の背後が眩しい。後光が射しているように見える。