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始業式も悪夢のように 3

「相馬君、大袈裟だよ。だいたい僕、まだなにもしてないし。……いや、あの、拝まないで。死者の気分になるから」  朝人は両手を合わせて拝む鳴を慌てて止めた。  鳴としては拝むどころか五体投地したいくらいの気分だったのだが、できたばかりの友達を瞬殺で失いそうなのでやめておいた。  携帯の番号を交換しよう、と朝人に言われて、一も二もなくうなずく。 「あの、瀬尾君は俺のことなんとも思わないの? 俺が奴隷に選ばれたこと、みんな怒ってるみたいなんだけど」 「奴隷は庶民の憧れだからね。受験組から選ばれることはまずないし、それも十人選べるのにたったひとりしか選ばないなんて前代未聞だから、みんなちょっとショックを受けてるんだよ。相馬君どうこうじゃなくって。……僕は羨ましいとは思うけど、自分が奴隷に選ばれたいとは思わないんだ。身分不相応すぎるっていうか恐れ多くて。キングたちは遠くからながめているのがいいよ」  キングたちは遠くからながめているのがいい、という朝人の意見には大賛成だ。鳴だってできることならそうしたかった。 「あの、ちょっといいかな」  声をかけられて振り向くと、見知らぬクラスメートがすぐ傍に立って鳴を見下ろしている。もっとも受験組の鳴にとって朝人以外のクラスメートは全員見知らぬ人なのだが。  奴隷に選ばれたことで文句を言われるのかと思って身構えたが、相手の表情に険はなかった。 「えっと、なに?」 「君、相馬鳴君だよね。桜先輩の奴隷に選ばれた」 「あー、まあ、そうだけど」  実に不本意ですけど、と心の中でつけ加える。 「相馬君って受験組だよね。それなのに奴隷に選ばれるなんて、ひょっとして桜先輩の昔からの知り合いとか?」 「いや、昨日初めて会ったばかりだよ」 「知り合いでもなんでもないのに奴隷に選ばれたっていうこと? どうして?」  どうして、と訊かれても、鳴が逆に訊きたいくらいだ。それさえわかれば奴隷という立場から解放されるのだ。 「さあ……どうしてなのか俺にもわからないんだよね」 「正直言って相馬君って見た目はまあ普通だよね。頭がすごーくいいとか? 運動神経がずば抜けてるとか? 音楽に長けてるとか、芸術方面に才能があるとか、なにか凄い特技があるんでしょ?」 「いや、特には……。見た目のとおりごくごくごく普通の人間だけど」  クラスメートの表情に初めて苛立ちが滲んだ。 「じゃあ、桜先輩はなんの取り柄もない人間を奴隷に選んだってわけ? おまけに君、桜先輩のルームメイトなんだろ? 学年も立場も違うのにおかしいよね、そんなの」  おかしいと言われても、奴隷もルームメイトも鳴が決めたことじゃない。文句があるなら雪生に言って欲しい。 「ひょっとして、相馬君、桜先輩の弱味を握っているとか……?」  教室中が鳴たちの会話に聞き耳を立てていたらしい。教室がざわっと揺れた。 「弱味って、いや、そんなんじゃ――」 「だって、そうでも考えないとおかしいじゃないか。桜先輩は君に弱味を握られていて、しかたなく奴隷に選び、更にルームメイトまでにした。奴隷をたったひとりしか選ばなかったのも、桜先輩を独り占めしたかった君の指図だと思えば納得がいく」 「いやいやいやいや! 勝手に納得するなって! 男が男を独り占めしてどうすんの!」  独り占めどころかひと切れだって欲しくない、というのが素直な気持ちだ。  ふと気がつけば何人かのクラスメートが立ち上がり、不穏な顔つきで鳴に向かって歩いてくる。 「相馬君、ちょっとまずいかも……。逃げたほうがよさそうだよ」  怯えた表情の朝人が囁く。  鳴はごくんと唾を呑みこんだ。このままここに座っていては袋叩きに遭うだけだ。でも、逃げるといってもどこへ? 「正直に言えよ。おまえ、桜先輩の弱味を握って脅しているんだろ」  ダンッ、と拳が机に振り下ろされた。その時だった。 「鳴――」  聞き慣れた声が鳴を呼んだ。ハッとしてドアに目をやると、開けたままになっているドアのところに雪生の姿があった。  教室が先ほどとは違った意味でざわっと揺れる。

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