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始業式も悪夢のように 4

「これ、おまえのノートだろ。間違って俺の鞄に入ってた」  雪生はざわつく空気を気にする様子もなく、黒豹を思わせるしなやかな動作で鳴に向かって歩いてきた。鳴の机の横に立ち、手にしていた青いノートを鳴に差し出す。 「あ、どうも……」  気の抜けた炭酸飲料のような声が出た。  雪生は鳴の机の周りに集まっていたクラスメートたちへ視線を向けた。  途端、少年たちは鬼軍曹に対峙したかのように背筋をピッと伸ばした。先ほどまで座っていた生徒たちも、いつの間にか起立している。  雪生を見つめるクラスメートの瞳には、熱っぽい憧憬が浮かんでいる。  まるで教祖と熱心な信者のごとき光景だ。 「なんだ、もうこんなにたくさんの友人ができたのか」  雪生にしては間の抜けた科白だった。雪生が入ってくるまでの不穏な雰囲気にまるで気づいていないらしい。 「いや、そういうわけじゃ……」 「さすがは俺が奴隷に選んだだけのことはある。人心掌握には長けているな。……こいつは俺と同じ受験組でこの学園のことがまだよくわかっていない。色々と迷惑をかけるかもしれないが面倒をみてやってくれ」  雪生は鳴のクラスメートたちに向かって微笑みかけた。雪生らしさの欠片もない穏やかな笑み。  綺麗な、とても綺麗な笑顔だったが、そこはかとなく胡散臭い。心がこもっていないというのか、冷ややかな心の内側が滲み出ているとでもいうのか。  が、そう感じたのは鳴だけだったらしい。 「は、はいッ! もちろんです!」  クラスメートたちは顔を赤くしながら一斉にうなずいた。教室の温度が二、三度ほど上昇したような錯覚に襲われる。  雪生は微笑みながら鷹揚にうなずき返すと、 「終わったら迎えにくる。いい子で待ってろ」  鳴の頭を優しい手つきで叩いてから、教室を出ていった。  束の間、教室に静寂が落ちる。 「……あの相馬君」  静寂を破ったのは「桜先輩を脅しているんだろう」と噛みついてきたクラスメートだった。 「俺、少し勘違いをしていたみたいだ。今の桜先輩の態度、自分を脅している相手に対するものにはとても見えなかったよ……。おかしな勘違いをした上に突っかかったりしてごめん。……許してもらえるかな」 「え、あ、うん。勘違いだってわかってもらえたなら、それでいいよ」  他のクラスメートも誤解だとわかってくれたらしい。口々に謝罪してきた。  よかった。雪生がノートを届けにこなかったら確実に袋叩きにされていたはずだ。  鳴はほーっと胸を撫で下ろすと、出会ってから初めて雪生に感謝した。もっとも雪生が鳴を奴隷に選んだりしなければ、袋叩きどころかクラスメートに詰め寄られる事態にもなっていないわけだが。 「相馬君、桜先輩がきてくれてよかったね。僕、どうなることかと思ったよ」  朝人はホッとした表情で微笑んだ。まだ少し顔色が悪い。鳴のせいで余計な心労をかけてしまった。 「うん、いいタイミングできてくれて助かったよ」  鳴は机の上の青いノートをながめた。表紙には数学Aと書いてある。中はまだまっさらだ。 (あれ……? なんだってわざわざノートを届けにきたんだろう)  今日はまだ授業はない。そのことは雪生だって知っている。  わざわざ一年の教室を訪れなくても、ノートなんて部屋にもどった時に返せば済む話だ。だいたい、授業があったところであの雪生が奴隷のためにノートを届けにくるだろうか。  ひょっとして、雪生は鳴がクラスメートたちから袋叩きに遭うことを予想していたのかもしれない。このノートもうっかり鞄に紛れこんだのではなく、さりげなく一年の教室を訪れるためにわざと持っていったのかもしれない。 (いや、でも、あの尊大極まりない人が奴隷の俺のためにそこまでしてくれるかな……)  鳴が袋叩きに遭ったところで「無様だな」のひと言で終わりそうな気もする。  真相は果たしてどこにあるのか。  今の鳴にはわからなかった。

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