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青いノートの秘密 5

(好きで奴隷に選ばれたわけじゃないから! 替われるものなら今すぐにでも替わるから! 俺を恨むのはお門違いだから! 恨むのならそこにいる桜雪生、桜雪生でお願いします!) 「……彼、ですよね。会長が選んだたったひとりの奴隷は」 「ああ、そうだ」 「どうして彼だったんですか。彼のほうが僕より遥かに優れている、ということですか……? じゃないと納得できません」 「キングに奴隷を納得させる義務はない、という前提をまず言っておく。その上で言うが、宮村のほうがこいつよりも頭の回転が速いし、運動神経も優れている。芸術に対する造詣も美的センスも上だし、計算能力、言語能力、気配り、お茶の淹れ方、一般常識、道徳観念、すべて宮村のほうが上回っている」  なんだか鳴には取り柄のひとつもないような言い草だ。平凡な人間だと自覚しているが、平凡だということは人並み程度ではあるということだ。たった一日半のつきあいしかない人間に、さも無能のように言われる覚えはない。  ムッとして雪生の横顔を睨んだが、雪生は鳴を見ようともしない。 「じゃあ、どうして彼を選んだんですか!?」  宮村の疑問はもっともだ。納得させなくてはいけない場面なのに、疑問をより深くしてどうするつもりなのか。  やっぱり俺のご主人様は少しアホなのかもしれない、と心で嘆く。 「宮村にはできないが、こいつにはできることがひとつだけある」  昨日出会ったばかりなのに「ひとつだけ」と言い切るあたり、果てしなく失礼な人だ。  失礼極まりないし尊大だし口はとてつもなく悪い。奴隷がどれほど名誉なのかはしらないが、よくもまあ引き続き雪生の奴隷をやりたいと思えるものだ。  物好きというか一種の変態というか。 「僕にできなくて、彼にできること……? 一体なんなんですか」  雪生は一拍の間をおいて答えた。 「俺を笑わせることだ」  宮村は目を見開いて雪生を凝視し、次に鳴を凝視した。  鳴はその視線に狼狽えつつ、この人はそこまで笑いのセンスがないのか、と少し同情した。鳴だって特に面白いことが言えるわけじゃないのに。  確かにこの繊細な顔立ちでくだらない冗談を飛ばすところは想像できないが。 (え……? なんか見られてる?)    鳴を見つめているのは宮村だけじゃなかった。この場にいる全員が珍獣を発見したかのような眼差しで鳴をひたと見つめている。  視線の意味がわからずに途惑う。 「……会長は君の前で笑うのか」  宮村はぼそりと訊ねた。 「えっ、まあ、この人もいちおう人間ですから」 「いちおうは余計だ。おまえはほんとうに口が悪いな」 「はあっ!? それ、あんたにだけは言われたくないんだけど!?」 「正直な性格は俺の美徳なんだ」 「あんたのはただの毒舌でしょ! その失礼さ加減でよくここまで世の中渡ってこれたなって感心するよ」  鳴がギッと睨むのを、肩を軽く竦めて受け流す。まったく応えていなさそうなところが憎らしい。  宮村の視線に気がついて、鳴はひとつ上の先輩を見つめ返した。宮村の目はなんとも不思議な感情を浮かべている。諦め、羨望、淋しさ。そういったものが一緒くたになってひとつの光になっている。 「……僕では役者不足だということですね。わかりました。でも、まだ諦めていませんから。また僕を奴隷に選んでもらえるように努力していきます」  宮村は一礼すると生徒会室を後にした。

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