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青いノートの秘密 9

「まあ、いい。なにか企んでいるのかもしれないが、馬鹿の考え休むに似たり、だ。くだらない考えは捨てて、おとなしく俺に尽くすんだな」  雪生は長い足を組んで、悠然と椅子に座っている。  別になにも企んだりしていないのに。自分が腹黒いからそうやって人を疑うのだ。 「忘れていた、鳴」 「なに?」  雪生は立ち上がると、鳴の顎をくいと持ち上げた。鳴は瞬きした。綺麗に整っているが女っぽさの欠片もない顔がすぐ真上にある。  アーモンドの形をした瞳が笑った、と思った瞬間、雪生の顔を認識できなくなった。顔と顔の距離が縮まり、口と口に至っては接触したからだ。  思わず「ぎゃーっ!」と叫ぶ。 「なんだ、その色気の欠片もない反応は」  雪生は呆れた口振りだったが、呆れたのはこっちのほうだ。 「なんでいきなりキスするんだ、あんたは!」  脈絡がないにもほどがある。  アメリカの大学を卒業したと言っていたが、アメリカナイズもいい加減にして欲しい。ここは日本だ。奥ゆかしいという美しい言葉のある極東の国なのだ。  鳴の文句は雪生にはまったく届いていないらしい。ふたたび顎をつかむと性懲りもなくキスしてきた。 「だ、か、ら! いきなりキスするなって言ってるでしょ! いきなりじゃなくても駄目だけど、いきなりはもっと駄目だから!」 「しかたないだろ。おまえが俺との約束を破ったから、その罰だ」 「約束!?」 「名前を呼び捨てにしろ、敬語を使うな。昨日、言ったはずだ」 「そんなのちゃんと守ってるでしょ!」 「絡まれたくないです。つかぬことをお伺いしますが。今朝とさっき、おまえはそう言った」 「えっ!? い、言ったっけ? っていうか、そんなの後から言われてもいちいち覚えてないって! 雪生もいちいち覚えてなくていいから!」 「じゃあ、次からはその場ですることにしよう。チキンヘッドのおまえに合わせて」  その場でするということは、それが学校だろうと食堂だろうとかまわずするということだ。  冗談じゃない。そんな生き恥をかかされるくらいなら食べ過ぎで死んだほうがまだマシだ。 「……部屋に帰ってきてからでお願いします」  鳴はがっくりと項垂れた。  その日の夜、鳴はベッドの中で考えた。雪生が鳴を奴隷に選んだ理由について。  雪生は、元奴隷の宮村に「こいつは俺を笑わせることができる」と言った。それが唯一、鳴が宮村より優れているところだと。  それが奴隷に選んだ理由だろうか。平凡な鳴はギャグセンスも平凡で、芸人のようなセンスは到底持ちあわせていない。笑いのツボは人それぞれだから、鳴のギャグが雪生のツボにはまった、という可能性はある。 (でも、俺と雪生って初対面なんだよな。俺のギャグなんて聞いたことないだろうし、奴隷にされてからバタバタしっぱなしでギャグを言う余裕なんてなかったし……)  部屋の灯りはとっくに消されて、あたりを照らすのはオレンジ色の常夜灯だけだ。  耳を澄ますとかすかな寝息が聞こえてくる。  鳴は物音を立てないように寝返りをうった。セミダブルのベッドは鳴の体重を優しく受け止めてくれる。実家のベッドより寝心地は遥かにいい。それなのに落ち着かない。  隣のベッドで眠っている雪生に視線を向ける。隣といってもベッドとベッドの間には数メートルの距離がある。  雪生はこちらに背を向けて眠っているらしく寝顔は見えない。  つくづくよくわからない人だ。  かなり優秀な人らしいのに、鳴にやっていることは無茶苦茶だ。いきなり奴隷に選んだり、キスしたり、股間を揉んだり。ほとんど変態だ。見た目が見た目なのでそう思えないだけで。 (雪生が俺を奴隷に選んだ理由、俺に拘る理由……理由……りゆう……)  あともうちょっとでわかりそうな気がするのに。一生懸命背伸びをして手を伸ばしても、あと数ミリ足りずに届かない。そんな感覚。  もどかしい。でも、今はそれ以上に眠い。  けっきょくなにも思いつかないまま、鳴は眠りの世界に落ちていった。

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