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桜舞う 2
「お、おじゃまします……」
朝人は鳴の部屋にそろりそろりと足を踏み入れた。怖いと評判のお化け屋敷に入るかのような表情になっている。あるいは地雷原に侵入するかのような表情だ。
「緊張しなくても大丈夫だよ。さっきも言った通り会長は出かけていないから」
「う、うん、わかってるんだけど……。す、すごい部屋だね。噂には聞いてたけど噂以上だ……!」
朝人は数歩入ったところで立ち止まり、きょろきょろとあたりを見まわした。銀縁眼鏡の奥の瞳が大きく見開かれている。
「ねー、どこの高級ホテルだよって感じだよね。同じ学園の寮の中で格差ありすぎだよ。よくみんな暴動をおこさないね。あ、そこに座って。いまお茶を淹れるね。紅茶しかないけど紅茶で大丈夫? ……って、なにしてるの?」
朝人は鼻をくんくんと鳴らしながら顔を左右に動かしている。なにか臭うんだろうか。
「桜先輩の匂いがするかなって思って」
「いや、しないでしょ。瀬尾君が犬並みの嗅覚を持っているならともかく」
そうだよね、とうなずいて照れたように笑う。男の匂いなど嗅いでどうするのだ、と思ったが、確かに雪生はいい匂いがする。香水を使っているようすはないし、シャンプーなども鳴と同じものを使っている――というか、鳴が雪生のものを使っているのだが。
鳴は簡易キッチンに引っこみ、朝人のために紅茶を淹れた。この学園に入学してから初めてのお客様だ。もてなしの心をこめて丁寧に淹れる。
鳴がティーカップをトレイにのせて出ていくと、朝人は身の置き所がなさそうに肩を小さくしてソファーに腰かけていた。なんとなくハムスターを連想する姿だ。
「はい、どうぞ」
薫り高い湯気を上げているカップを目の前におく。朝人はお礼を言ってからカップを口に運んだ。ひとくち飲んで目を丸く見開く。
「……美味しい! 相馬君って紅茶淹れるの上手だね」
「雪生――会長に教えられたんだよ。お茶を淹れるのも奴隷の仕事のうちだって。まずいお茶を淹れたらなにをされるかわかったものじゃないから、がんばって丁寧に淹れてるよ」
ひとくち飲んでみたが、雪生の淹れた紅茶のほうがやっぱり美味しい。言われた通りに淹れているつもりなのになにが違うんだろう。
「あのさ、瀬尾君」
鳴は居住まいを正してテーブル越しに朝人と向き直った。
「いきなり改まってどうしたの?」
「俺と普通に接してくれてありがとう。いきなり奴隷に選ばれて、周りからあれこれ言われたり睨まれたりで正直言って泣きたい気持ちだったんだけど、瀬尾君だけは普通に振る舞ってくれたからすごーーーく嬉しかった。始業式の日も、みんなにひそひそされているのに気にせず話しかけてくれたよね。ずっとお礼が言いたかったんだ」
ほんとうにありがとう。鳴は座ったまま深々と頭を下げた。
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