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萌えない少年 1
「あのね、長年アメリカで暮らしてきた雪生にはいまいちわからないのかもしれないけど、日本人って謙虚な国民なの。日本人なら今みたいな場合は『案内させてやる』じゃなくって『案内して欲しい』って言うんだよ」
鳴は子供に言って聞かせるように口調を和らげた。
「言っていることが正しくても、言っているのがおまえだと思うとなんだか腹が立つ」
まるで子供みたいな言い草だ。
雪生はますます唇を曲げた。生徒会室や食堂など部屋の外にいるときには絶対に見せない表情に、鳴は小さく苦笑した。
奴隷が相手だから体裁を取り繕わないのか、それとも鳴に少しは気を許してる証なのか。
「秋葉原を案内してくれ。……これでいいんだな」
「はいはい、よくできました」
保父さんの気持ちになってパチパチと手を叩くと、雪生は両手で頬を引っ張ってきた。
「いたいいたいいたいって! 褒めたのに怒るなよ!」
「おまえ、俺を馬鹿にしてるだろ」
「してないって。ただちょっと――」
鳴はハッとして口を閉じた。
ただちょっと可愛いなって思ったんだよ。
そう口走るところだった。男相手に、それもこの尊大極まりない男相手に可愛いだなんて。可愛いという言葉に失礼だ。
「ちょっと?」
「ちょっと小腹が減ってきたなーって」
「文章が繋がってないだろ」
雪生は胡散臭そうな目を向けてきたが、それ以上ツッコんではこなかった。
鳴は両手でひりつく頬をさすった。この調子では奴隷から解放される前にお多福顔負けの下ぶくれになってしまう。
「秋葉原でいってみたいところはあるの?」
「特にはない。秋葉原という街そのものに少し興味があるだけだ」
「言っとくけど俺も秋葉原に詳しいわけじゃないからね。二、三度、ぶらついたことがあるくらいで。メイド喫茶も入ったことがないし」
「メイド喫茶?」
雪生はなんだそれはという表情になった。
長期に渡ってアメリカにいたのなら知らなくても不思議はない。その手の俗っぽいものに興味を持ちそうなタイプにも見えないし。
「メイド喫茶っていうのはウエイトレスさんがメイドのコスプレをしている喫茶店のことだよ。『お帰りなさいませ、ご主人様!』ってお客さんを出迎えてくれる」
「要するにメイドを雇えない一般庶民が金持ち気分を味わうための喫茶店、ということか」
「いや、それちょっとだいぶ違う。金持ち気分とかじゃなくって、萌えを味わうための場所だよ」
「その萌えって一体どういう意味なんだ。日本に帰ってきてから萌えという言葉をよく耳にするが、いまいち意味がわからない。恋とは違うのか?」
果たして萌えをどのように説明すれば伝わるのか。鳴は腕組みをして考えた。
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