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夜食狂想曲 1
「それで、おまえは秋葉原になにしにいくんだ」
雪生はソファーに座り直しながら鳴に訊ねた。
「炊飯器を買いにいくんだよ」
「炊飯器?」
世にもけったいな言葉を訊いた、という表情で鳴を見つめる。
「炊飯器を買ってどうするつもりだ」
「どうするって……。炊飯器なんだからごはんを炊くに決まってるでしょ。まあ、炊飯器で豚の角煮とかも作れるけど。うちの母さんはときどき作ってたし」
雪生はますます訝しげな表情になった。鳴がいきなりマンボウ語でしゃべり始めた、とでもいうような顔つきだ。
「それはわかってる。ごはんを炊いてどうするつもりだ」
「……雪生、頭だいじょーぶ? ごはんを炊いたら食べるに決まってるでしょ。ひょっとしてごはんって日本語忘れちゃった? ごはんっていうのはライスのことだよ。あーゆーおーけー? あーはん?」
「頭だいじょーぶ? はこっちの科白だ。朝も昼も夜も二人前食べておきながらまだ食べるつもりか? 食欲中枢を一度検査してもらったらどうだ」
「育ち盛りの男の子なんだからあれくらい普通だよ。一ノ瀬先輩や乙丸先輩だって、いつもニ、三人前は食べてるじゃない」
鳴にしてみれば一人前きっちりで事足りる雪生や遊理のほうが、十代の男子としてどうかしているのだ。
「ごはんを炊いていったいいつ食べるつもりだ」
「夜のお勉強の時間だよ。夜食がなにもないのが淋しいなーって思ってたんだ。ごはんが炊ければおにぎりが作れるでしょ。おにぎりとうどんは夜食の王道だからね」
「脳の活動は糖分を消費するから、炭水化物を摂取するのは理に適ってはいるな……」
どうやらめずらしく雪生を納得させるのに成功したらしい。
「でっしょー!? 成績向上のためにも炊飯器を買いにいくんだよ。雪生もおにぎり食べるでしょ? ちゃんと雪生のぶんも握ってあげるから安心してよ」
雪生の返事はなかった。形容しがたい奇妙な表情で鳴を見つめている。
呆れているわけでも、馬鹿にしているわけでもない。言いたいことがあるのにどうしても言えない、というような。
鳴は表情の意味がわからず途惑った。おかしなことを口走ったつもりはないのに。
「……えーっと、おにぎり嫌いだった?」
そういえば雪生がおにぎりを食べている姿は見たことがない。
春夏冬の購買は校内で焼き上げたパンと、やっぱり校内で作られたおにぎりや弁当がメインなのだが、雪生はもっぱらパンばかりだ。
「……いや、嫌いじゃない。一度しか食べたことがないが旨かった」
いつになく穏やかな声で呟いて柔らかく微笑する。
鳴は我知らず唇を引き結んだ。心臓がざわざわする。
雪生らしからぬ表情と口調のせいでなんだか見知らぬ人のようだ。
おにぎりなんていう庶民の食べ物をこの俺が口にすると思うのか、と罵られたのなら雪生らしいと納得できるのに。
いったいなにが雪生にこんな表情をさせたのか。それがわからないのが妙に気になった。
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