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夜食狂想曲 2
明日は午前十時に寮を出ることで話はまとまった。
雪生との外出がどんなものになるのかまったく見当がつかないが、炊飯器を買いにいくだけなんだからそんな妙なことにはならないだろう。たぶん。
「桜、明日ふたりで出かけない? 東京都美術館でゴッホ展をやってるんだ。興味あるだろ?」
夕食がそろそろ終わろうというころ、遊理が桜に向かって言った。
食堂の窓際の席は、いつものように四人のキングとひとりの奴隷が陣取っている。
鳴は雪生の横顔へ目を向けた。
奴隷の鳴とキング仲間の遊理。雪生がどちらを優先させるかは考えるまでもなく明らかだ。
(雪生と一緒に秋葉原に行きたかったわけじゃないし、ひとりのが気楽だしいいんだけどさ)
先約はこっちなんだから「ごめん」のひと言くらいは欲しいところだ。
「明日は先約があるんだ。また今度誘ってくれ」
「えっ」
思わず声を上げたのは遊理ではなく鳴だ。まかさ鳴との約束を優先して、遊理からの誘いをあっさり断るとは思いもしなかった。
「なにか問題でもあるのか」
「や、ないけど……」
いいのかな、という思いをこめて遊理へ視線を向けると、険悪な眼差しとぶつかった。
「ひょっとして先約ってその奴隷?」
「ああ、そうだ」
しまった。雪生は鳴の名前を出さずに断ったのに、わざわざ先約は僕です、と言わんばかりの態度を取ってしまった。
遊理が鳴を毛嫌いしているのは知っている。嫌われても特に困るわけじゃないが、更に嫌われるような真似をあえてする必要もなかったのに。
「……へえ、僕の誘いよりも奴隷相手の約束を優先するんだ」
「誰が相手かは関係ない。先約を優先するのは当然だろ」
雪生は澄ました黒猫みたいな表情で食後のエスプレッソを口へ運ぶ。
テーブルの上に嫌な空気が満ちて、鳴は肩を小さくした。せっかくの楽しい食事の時間を鳴のうっかりのせいで不快なものにしてしまった。
雪生と遊理はともかく太陽と翼には申し訳ない。
「ふたりでどこかに出かけるの?」
太陽は場の空気を払い退けるように明るい口調で訊いてきた。
「あ、はい。ちょっと秋葉原に」
「……メイド喫茶」
ぼそっと呟いたのは無言でボンゴレビアンコを食べていた翼だ。
全員の視線が金髪の痩せた少年に集まる。
「メイド喫茶にいきたいのか?」
太陽の言葉にこくんとうなずく。それきり無言、無言、無言だ。
「え、えーと、じゃあ一緒にいきますか?」
鳴が訊ねると、翼は勢いよく顔を上げて鳴を見つめた。が、すぐに悄然としたようすで視線が下がる。
「明日はバンドの練習がある……」
「じゃあ、ダメですね……」
翼があまりにもがっかりした顔をするので、鳴はいささか罪悪感を抱いてしまった。
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