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夜食狂想曲 24
「雪生、梅とシャケふたつずつでいい? 手に持ってるのは別にして」
「俺は子供のころ食べたのと同じものが食べたい」
「……あのさ、そーゆーことは買い物してる時に言ってよ」
自分が望みさえすれば、今すぐなんでも叶うと思っているんだろうか。
今までの奴隷はこのマイペースかつ俺様なご主人様にどうやって対応していたのか。
一度詳しくインタビューしてみたいところだ。
「梅干しとシャケしか買ってきてないんだけど。中身なんだったの?」
「中身はなかった。あの時は塩だけで握っていたな」
「ああ、塩むすびのこと」
それなら塩とごはんさえあれば作れる。キャビアだのトリュフだのと言い出したらどうしてくれようかと思った。
鳴は梅とシャケをそれぞれふたつ、小さめの塩むすびを四つ握った。
「よし、あとは買ってきたほうじ茶を淹れて――って、おいこら!」
先ほど叱られたばかりなのをもう忘れたのか、鳴の小言など端からどうでもいいと思っているのか、雪生は皿から塩むすびをひょいと取った。いただきますも言わずにひと口囓る。
「食べる前にはいただきます! って、さっき言ったでしょ!」
「……ああ、この味だった。懐かしいな」
しかし、雪生はやはり鳴の言葉を聞いちゃいなかった。小言を続けようとして、思わず息を呑む。
幼いころの思い出が蘇ったのか、秀麗な顔に春の陽光を思わせる微笑が浮かぶ。
誰もが見蕩れるような――怒っていたはずの鳴でさえ、不覚にもついうっかり見蕩れてしまった。
雪生はふたたび塩むすびを口に運びかけたが、視線に気づいたのか鳴へ目を向けた。
柔らかな微笑が悪戯めいたものに変わった。と思ったときにはキスされていた。
「なっ――! いてっ!」
慌てて飛び退いた弾みにシンクで腰をぶってしまった。
「大丈夫か? そそっかしい奴だな」
「誰のせいだと――前にも言ったはずだけど、断りもなく人にキスしない!」
「おまえがキスして欲しそうな顔をしていたからだ」
しれっとして返された言葉に、鳴は痛む腰をさするのも忘れて絶句した。
「してねーよっ!」
鳴は九割呆れて一割感心した。自惚れもここまでいくとあっぱれだ。キスして欲しいなんてこれっぽっちも思っていない。思うはずがない。
いくら美形で色気を感じさせても雪生は男だ。鳴より背も高くて筋肉だってしっかりついている男なのだ。
そりゃあ、雪生にもちょっとは可愛いところもあるな、とか思ったりしたけど――いやいやいや、ないないない!
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