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ファーストキスは甘くない 1

 泣いている。  目の前で女の子が泣いている。  大きな目から大粒の涙をぽろぽろ零して泣いている。  鳴は相手が男でも女でも子供でも大人でも泣かれるのが大の苦手だった。特に泣いているのが女の子だと無性に居たたまれない気持ちになる。どうにかして泣いているのを止めなくてはと激しい使命感に駆られてしまう。  どうしよう、どうしよう、どうしよう。どうすればこの子の涙を止められる?  お願いだから泣かないで。  君が泣きやんでくれるならなんだってするから。  焦るあまり鳴はとんでもない行動に出た。  女の子の華奢な両肩をつかみ、顔をぐっと近づけた。唇が唇に触れた。たった一瞬。瞬きする間もないほどの時間。  それでも柔らかく温かな感触ははっきりと伝わった。  女の子は大きな目をますます大きく見開いた。眦に残っていた涙が瞬きした弾みに転がり落ちる。  涙に濡れた二重の瞳が鳴をじっと見つめて――それから、それから……?  ……この後どうなったんだっけ?  スイッチをカチッと押されたみたいに目が覚めた。  視界に映ったのはそろそろ見慣れたやたらと高いところにある天井だ。春夏冬学園の学生寮の七階。生徒会長が暮らす学生寮とは思えない贅沢な部屋。  この部屋で暮らし始めてから半月ほどが過ぎていた。 「……どうして忘れてたんだろ」 「めずらしいな。もう起きたのか?」  鳴の呟きが聞こえたらしい。制服の白いシャツに袖を通していた雪生が振り返った。壁に掛かった時計は午前五時二十分を差している。スマートフォンのアラームが鳴るよりも早く目が覚めてしまった。 「雪生、おっはよー!」  鳴はベッドから飛び起きると朗らか過ぎるほど朗らかに朝の挨拶をした。いつもクールな雪生がたじろぐほどに。 「……朝から頭がどうかしたのか?」  うさん臭そうな視線を投げかけられたが、今の鳴は少しも気にならなかった。テンションはマックスまで上がっている。  すっかり忘れていた重大かつ重要な事実を思い出したのだ。 「はっはっは。なんとでも言い給え。今の僕は太平洋よりも心が広くなっているからね。多少の暴言なら許してあげよう」  うさん臭そうな視線が不気味なものを見る視線に変わった。ルームメイトに対して失礼極まりない視線だが、鳴は寛大な心でさらりと流した。  鶏がようやく起きてくるような時刻だが、鳴はいつも五時半にアラームをセットしている。六時から七時までは早朝学習の時間と定められているからだ。早朝学習が始まるまでに身支度を整えておかなくてはならない。  じゃないとルームメイト兼ご主人様の手厳しい罰が下ることになる。  着替えと洗顔を済ませて、ミルクティーを淹れ終わるころには六時手前になっていた。  学習時間が始まってからも鳴のテンションは天辺を保ったままだった。雪生はいつも通り厳しく、口が悪く、容赦がなかったが、今日は小鳥の可愛らしい囀りにしか聞こえなかった。 「ふ、ふふふーん、ふふん」 「俺に勉強を教わりながら鼻歌とはいい度胸だな」 「あ、ごめんごめん。ふふふーん、ふふん」 「……今日のおまえは不気味な上に苛つくな」 「鼻歌くらいでイライラするなんてカルシウムが足りてないんじゃない? 小魚を食べるといいよ。たたみいわしとか」 「たたみいわし? いや、今は畳も鰯もどうでもいい。なんだって今日のおまえは朝から不気味にご機嫌なんだ」  ご機嫌な鳴とは裏腹に雪生は極めて不機嫌そうな顔つきだった。  奴隷の鳴がご主人様よりも機嫌がいいのが腹立たしいのかもしれない。

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