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朝顔少年 1

 母から返信が届いたのは三時限前の休み時間だった。 『鳴君のガールフレンドはみんな可愛い子ばっかりだったけど、黒猫みたいな美少女は知らないなあ。その子がどうかしたの? ひょっとして初恋の子???』  あっさり知らないと言われてしまい、鳴は両肩をがくっと下げた。母親だけが頼みの綱だったのに。 (キスはしたけど初恋ってわけじゃ――いや、ひょっとして俺はその子が好きだったのかも。好きだからキスしちゃったのかも)  あの子を思い出すと感じる胸のざわめき。切ないような甘いような。苦しいようなくすぐったいような。  このざわめきがいわゆる恋という奴なのかもしれない。 (相手の子は俺のことをどう思ってたのかな。少しは好きだった? それともただの友達だった?)  友達としか思っていなかったのなら悪いことをしてしまった。男の鳴だってファーストキスにはそれなりの理想を抱いていたが、女子ならなおさら理想があるはずだ。  いまだに引きずっていたらどうやって責任を取ろう。土下座して謝ったくらいで取れるようなものじゃない。そもそも謝ろうにも相手がどこの誰なのかもわからないのだ。  はあ、と溜息をついたときだった。教室の空気がざわっと揺れた。  どうかしたのかなと思ってスマホのディスプレイから顔を上げると、 「相馬君、こんにちは」  見覚えのある上級生がドアの前に立ち、鳴に向かって微笑みかけてきた。  一瞬、誰だろうと考えてすぐに思い出した。雪生の元奴隷だ。確か雪生は宮村と呼んでいた。  宮村はまっすぐに鳴の元へ歩いてくると、ちょうど空いていた隣の椅子に腰を下ろした。  ざわめきが激しくなる。元奴隷が現奴隷にどんな用があるのか興味津々といった様子だ。朝人だけが心配そうな視線を向けてくる。 「こ、こんにちは」  宮村は会議中の生徒会室に乱入するほど奴隷の立場に拘泥していた。おまえのせいで奴隷に選んでもらえなかったんだ、と鳴に文句を言いにきたんだろうか。 「僕のことは覚えてくれているかな?」 「えっと、宮村さん、ですよね」  元奴隷の、とはつけ加えなかった。嫌味になりそうだったからだ。 「覚えていてくれたんだ。まあ、会議中に派手に飛びこんじゃったからね。忘れるほうが無理か」  宮村は照れくさそうに微笑んだ。  どうやら鳴に対して害意はないようだ。鳴は無意識に入っていた肩の力を少し抜いた。 「えっと、俺に何か用ですか?」 「うん、今日から相馬君を観察させてもらおうと思って」 「観察?」  鳴は目を見開いた。奴隷の座を奪われた腹いせに一発殴らせてくれ、と言われたのならまだ理解できる。しかし、鳴を観察させて欲しいというのは理解できない。鳴を朝顔か蟻と勘違いしてるんじゃないだろうか。 「そう、観察。僕はまだ奴隷の座に返り咲くことを諦めていないんだ。次の生徒会長もまず間違いなく桜会長になるだろうからね。次こそはまた僕を奴隷に選んでもらう。そのために君を観察することにしたんだ」  奴隷って返り咲くようなものじゃないと思うんだけど、というツッコミはかろうじて心の中に留めておいた。

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