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Vlll
月日はあっという間に流れ、まもなく仕事も3年になる。自分なりにも随分と整理がついてきた。
それなりにまかせてもらえるケースも増えてきたし、後輩もいる。クライアントのリクエストのなかに自分らしさを織り込むことも少しずつだができるようになってきたと思える。
和泉と俺は相変わらずの関係だ。
適当に適当な誰かとつきあい、関わりあいながら気を紛らわすことにも慣れた。
和泉への気持ちを諦めきれず温めている自分はかなりマゾだと思う。
心の奥に閉じ込めているうちに消えてなくなればいいのに、それは硬く鋭い光る塊になった。
もう砕くことも放り出すこともできないだろう。
ずっと鈍く光り続けるのだ。
◇◆◇
打ち合わせが終わってデスクに戻るとメールがはいっていた。
久しぶりに沙希からの連絡だ。時間をつくってという愛想のないメールが彼女らしい。
沙希とは大学時代からの付き合いだ。どこか他人に心を許しきれないところや、本気で恋愛しないところなど、俺達は似ているところが多い。そんなことで気が合い、思いついたらどちらともなく連絡をして他愛のない話から仕事の話までして酒を飲む。
沙希は男にしても通用するような性格をしていて気が楽だったし、実に綺麗な女だ。
二重の大きな目と高すぎず鼻筋のとおった鼻、少し薄い唇が知的な印象を与えている。
茶色の瞳はいつも澄んでいて逢った人間は彼女のことを忘れることができなくなるのだ。
そういえば和泉と同じような目をしいる・・・。どこか冷たく見える印象も。
誰かに似ているといわれたら沙希は怒るだろうが。
正直細いわけでばない、身長は170cm弱で体重をきいたことはないが、標準より重そうだ。
綺麗な胸をしていて腰の位置が高い。女性は痩せたい痩せたいと呪文のようにいうものだが、沙希は持っている雰囲気のせいもあり魅力的なのだ。すれ違う男が振り向くことも多い。
沙希曰く、俺と一緒に歩いていると、不躾な視線も減り、大変環境がよくなっていいらしい。
まあ、互いに寝てもいいのだが、そんなことで大事な友人関係に変化が起こるほうが勿体無いので、よき友人関係を続けている。
年末を乗り越え、一月の連休が終わり、仕事もようやく通常のリズムを取り戻し始めた。気分転換をかねて飲みにいくのもいいだろう。「おおせのとおりに」と返事をする。
俺は時間どおりに逢えるように、今日の仕事を片付けようと懸案事項をやっつけはじめた。
待ち合わせの店につくと沙希はすでに来ており、先にビールを飲み始めていた。まったく。
「お前、なんだよ、ちょっとぐらい待てなかったのかよ」
苦笑しながらコ一トを店員に渡し、自分のビールを頼む。
「適当にオーダーしておいたから、待たずに料理を食べられるはずよ。さっさと食べちゃってね。なんか私今日は飲まないとやってられないのよ。」
黒のパンツス一ツをスタイリッシュに着こなしタ一コイズブル一のシャツを合わせている。
隙のない外見とは裏腹に、珍しく少し疲れたような顔をして沙希はビールのお代わりをオーダーした。
「お前がそんなに落ちているの、珍しくないか?仕事で何かあったのか?」
沙希はイベントの企画をやっており、企画から運営、マーケティングに販促までこなし、正直頭がさがるような働きっぷりだ。ワーカホリックぎみだし、時々病みそうよ、と笑って愚痴をこぼすことはあってもこんな顔をしているのは見たことがなかった。
「佐々木、今晩私の家にくるか、あんたの家に連れて行ってよ。」
「・・・お前本気か?」
「ええ、ものすごく。」
沙希・・・いったいどうした?
こんなことを、よりによって俺に言うような女じゃない。
「お前、何があったか知らないが、話なら聞いてやる。朝まで酒をのみたいなら部屋に来てもいい。でも今のお前の言いかたは、ちょっと遊びにいっていいかしら?というものじゃないだろう。俺としては数少ない大事な友人を減らすリスクはおかしたくない。
お前も同じ気持ちだと思っていたんだけどな・・・。」
沙希に自分をつくろってもしょうがないから正直に答える。
「佐々木の言うのはごもっともだわ。わかっている、わかっているけど、誰でもいいってわけじゃないのよ。
自分って言う人間にちょっと驚いているの。意外と弱かったみたいでね。
なんとなく似ているあんたじゃないとダメな気がして・・・。だからリスクを承知で申し出たわけ。」
いつにもまして早いピッチで飲みながらゆっくり自分に言い聞かせるように、俺の目を見ながら話す。
「いずれにしても、ちょっと話を聞かないと俺だってどうしようもない。まあ、食いながらおいおい聞かせろ。
それにお前、いつにもましてピッチが早いから何か食べないと悪酔いするぞ。」
「そうね、目の前に冷静な人間がいるっていうことは大事なことだわ、今の私には。」
沙希はようやく笑顔をみせた。
「あれ?アキ?」
そんなとき背後から声が聞こえた。この声にこの呼び方・・・一人しかいない。
笑顔で振り向いた俺は、一瞬で顔がこわばるのを止められなかった。
和泉は知らない女と一緒だった・・・・。
話では何度か聞いたことがあるし、彼女の存在は知っていた。俺としてはできれば避けたい話題だし、知らないことにしてしまいたい現実だ。和泉も恋愛の話を俺にすることはほとんどない。
それはあきらかに自分と違う性癖の俺を気遣ってのことだと思っている。
だから和泉の恋愛事情は知らないし、知らないから無かった事にもしてしまえたのに
自分がこれほどショックを受けるとは思っていなかった。
自分のものに出来ないことはとうの昔に折り合いをつけていたはずなのに、明らかに手に入らないものなんだぞと突きつけられた目の前の現実は創造以上に重かった。
「あ、お前もデートだったのか。」
何かを言わないといけないと思ってでた言葉は、ばかばかしい問いかけだ。
「あ~アキもだったんだ。奇遇だね。なんか照れるな・・。アキにメールしようと思ってたところだったんだよ・・・。あ、じゃあ、またね。」
店員に促されてテーブルに向かう女の後を追う背中をぼんやり眺める。
急に和泉が振り向いて、こちらに向かって戻ってきた。
「アキ、綺麗な人だね、びっくりした。それと見たい映画があるんだ。またメールするね。」
今度こそテーブルに向かう後姿から自分を引き剥がし、沙希と向き合う。
「佐々木、あんた泣きそうな顔してる。現実って重いでしょ・・・。」
沙希は一言そういってビールを飲んだ。
結局沙希も俺も食欲がなかったので、店を変えて本格的に飲みだした。
和泉が向かい側の女にどんな顔をして微笑むのか、どんな声で話すのか、何を話すのか・・・。
考えだしたらきりがなく頭がおかしくなりそうだった。
家に帰ってもよかったが、一人でいても和泉のことしか考えられないだろうし、たぶん一睡もできずに朝を迎えるのがオチだった。
沙希の話を聞いているだけで、正直気が紛れるだろう。
「佐々木の秘密ってあの人だったのね。」
唐突に聞かれて戸惑った。
「俺は別に秘密にしていたわけじゃない、言わなかっただけだ。」
「そうね、私も聞かなかったし。綺麗な人だわ。あんたと違って無邪気そうだし。佐々木のことだから何かを抱えている男だと思っていたのよ。想いを自分の中にぎゅうぎゅう押し込めて大丈夫だって、俺は大丈夫だって思っていたんでしょうね。」
何も知らないくせに。勢いよくグラスをあおる。
「私、昨日そうやってワインをがばがば飲んで2本空になった。
そして床に寝ていて、目がさめたらワイングラスがひっくりかえっていて携帯がワインまみれでね。
よけいな出費だったわ。」
自嘲気味に表情をゆがめながら沙希は静かに話す。
「私ね、結婚している人とつきあっているのよ。佐々木が知っているように恋愛に対して冷めてる考えだし、相手が結婚しているほうが逆に面倒がなくていいとすら思ってた。私は結婚したくないしね。もちろん今もそうだし、彼とも結婚はしたくないのよ。だから最初にルールをつくった、奥さんに知られたら別れましょう。ってね。」
「なんだ相手にばれたのか?」
「いいえ、ばれてない。ばれたほうが良かったかも・・・。そうしたらずっと私の知っている自分でいられたかもしれないから。」
「沙希、何があったんだ?」
「彼と食事をしていて、いつものように楽しい時間を過ごしていたわ。そしたらね、いつもの会話みたいに、今日なに食べようか?って言うみたいに言ったのよ、彼が。」
沙希の顔を見て視線で先をうながす。
「あの人言ったの。『あ、そうそう、ようやく探していた家がみつかったんだ。狭小住宅でご立派とはいえないけどね。まあ、なんとか予算内におさまったんで、徐々にいじっていこうかと思っている』って。
そしたら私の周りだけ時間が止まったようになっちゃって。あ、この人は私のものにはならないんだって。
気がついちゃったのよ。私と時間を過ごしても、奥さんと人生を歩むんだって。」
「だってお前別に結婚したいわけじゃないって言ったじゃないか。」
「そうよ、だからよ。人のもののあの人は最初から私はいらないって思ってた。
本当にそう思っているなら、家を買うという現実は流せたはずなの。
でも私はびっくりするほどショックを受けた。結婚という形じゃなく、一緒に人生を歩むってことじゃなくて、ただ、私はあの人を心底ほしかったんだって気がついちゃったのよ。心の底におしこめて知らないふりをしていたのは自分の脆い防御線だったってことをよ。
私はいつもそうだったのかもしれないって。自分が傷つきたくないから、相手のことを他の人がするような心の底からほしがるようなことはしない。踏み込んでしまったら後戻りできなくなるから、踏み込まない。
自分の気持ちを奥底に押し込めることで自分を守ってきたんだって。
相手の奥さんから奪って、とか結婚したいとかは相変わらず思えないんだけど、私は彼がほしいのよ、残念ながら。でも家まで買っちゃったんだからほしがっても無理なわけ。
そんな現実に対処できない自分をもてあましたわ。
家を買ったとか私に言う必要ないじゃない!なんて考えたんだけど、それって奥さんにばれたら関係を解消しようと決めたのも私。私が奥さんと別れてほしいと一回も言わないからだったのよね。
男は帰る場所があると、そこに帰るっていうけど、本当だった・・・私は彼にとって帰るところじゃなかったのよ、そしてそれを悔しいと思う自分が情けないわ。」
俺は言葉を失った。
さっき彼女といる和泉をみて我を忘れた。
しっかりカギをかけ、心の底におしこんでいたつもりだった自分の想いは、現実を前にして簡単に溢れてしまった。沙希と一緒で、「つもり」だったのだ。一生懸命にはっていた防御壁はあまりに脆かった・・・。
「俺に時間をつくれといった意味がわかったよ・・・・。」
「だから言ったじゃない、誰でもいいわけじゃなかったのよ。おもいつく限りでは、今の私の気持ちを理解できるのは秘密を抱えた佐々木だけだった・・・。」
クスっと笑いながら窓の外に視線を移して沙希が言う。
「あなたも現実の重さと、自分の脆さを知っちゃったものね・・・・。」
結局二人で俺の部屋に帰り、お互いの傷を舐めあうように、抱き合った・・・・。
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