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旅行編 2 大事な恋

「すごかったね! 俺、花火大会って子どもの時以来だよ」 「うん。すごかった」  日向が楽しそうなのがとても嬉しかった。君が笑ってくれるのがたまらなく好きなんだ。だから、お父さんと睦月もよく笑い合ってるのかなって、最近、思う。 「浴衣、伊都に見せられたし……」 「うん。似合ってる」 「ホント?」  俯いてぽつりと呟いたかと思ったら、今度は、似合ってると言われて、パッと表情を輝かせて俺を見上げる。なんで、君はこんなに可愛いんだろ。女子っぽいわけじゃないのに、女子なんて目じゃないくらいに可愛くてさ。ちょっとズルいってたまに思っちゃうくらい。 「えへへ。嬉しい。お母さんに着付けてもらったんだ」 「うん」  可愛くて、儚くて、でも、芯の強い君を、俺はずっと待ってた。なんて、思えるんだ。君とこんなふうに花火大会に来たかったから、あの時、おばさんのとこで会った女の子がせっかく誘ってくれたのも断った。 「ラストの花火もすごかった!」 「うん」 「周りがパーって明るくなるんだもん。感動しちゃたよ」 「うん」  思い出したように微笑む君の横顔が街灯の明かりに照らされて見ることができた。そう、あのラスト、すごかったのを覚えてる。お父さんが感動して声を上げて、そんなお父さんを見て微笑む睦月を、俺は見上げてた。  花火じゃなくて、お父さんを見て嬉しそうにする睦月を。  あの時は少し不思議だったけれど、今ならわかるよ。 「あ、もう着いちゃった」  さっき、きっと俺は、睦月と同じ気持ちで日向を見つめていたから。 「日向、下駄痛くならなくてよかった」 「う……ん」  君をずっと待ってたくらい君は俺にとって大事な人だからさ。 「あ、あの、ちょっとうち寄ってく? その、お茶とか……えっと」  真っ赤に頬を染めて、俺のTシャツの裾をキュッと握り締める君が愛しくて仕方ないけれど。 「今日は帰るよ」 「えっ! もう? お茶くらい」 「んー、ありがと。でも、今日は帰るね。日向のお母さんにも九時前には帰ってくるって言ったし」  本当に本当に大事だから。 「今日は、帰るよ」 「でもっ」 「来週、海、楽しみにしてる」  そこで君がもう終わったはずなのに花火を映してるように瞳を輝かせた。  そう、来週、一泊二日で海に行くんだ。ふたりっきりの旅行。日向のお父さんたちにも了解をもらっている。特急を乗り継いで、ふたりで。  予約する前からもうすでに楽しみにしていたんだ。俺も日向も、待ち遠しくて、本当に毎日あと何日って数えてしまうくらい。そんな夏一番の楽しみが来週あるからと、日向も頷いて、掴んでいた裾を離した。手を離す時、ちょっとはにかむのが可愛くて、誰も歩いてない夜道で見るのは、理性がギリギリになるけど。 「それじゃ」 「うん。また。次は旅行だね」 「うんっ」  爽やかに手を振って、少し足早に今来た道を引き返す。カランコロンって軽やかに響いていた君の足音はもうしない静かな帰り道。ついさっきまであんなにたくさんの花火が打ち上がって綺麗だった夜空も今は真っ暗で、ちょっと切なかったりして。 「……そのまま帰してあげたいじゃん」  ほら、こんな独り言も響いてしまうような、少し寂しい帰り道だけど。  けどさ、大事にしたいんだ。  君のことも、そんな君のお父さんとお母さんのことも。  お母さんが着付けてくれた浴衣なんて、ちょっとでも崩さず、そのまま送り届けたくなるよ。日向は宝物なんだから。ゲイってことを否定せず、受け入れ守ってくれていた、日向をそのまま大切にしてくれた家族のことも俺はすごく大事にしたいからさ。  だから、今日は花火だけ。 「にしても、可愛すぎ」  きっと今頃はお母さんたちに花火が綺麗だったって話してる頃かもしれない。たくさん打ち上がった花火をその瞳の中に映すように、目を輝かせて。日向は何の話をしているんだろう。あんなに細いのに結構しっかり食べる日向がどこからか漂ってきたソースの甘いいい匂いにお腹を盛大に鳴らしたことを話してるかもしれない。激安だった焼きそばがすごく美味しくて、おかわりをしようかどうしようか本気で悩んで、すごいしかめっ面になった日向に、そばにいた子どもがびっくりしてしまったことかもしれない。でも、きっとどんな話をしても、日向は楽しそうだから、聞いてるお母さんたちも楽しかったと思うんだ。  そんな想像をしていたら、ちょっと切なかった帰り道がなんだかとても楽しくて、くすぐったいものに変わった。  なりたい将来はもう決めた。 「伊都! もっとピッチ上げて。あと、肩の柔軟性がない。もっとストレッチ」 「はいっ」  睦月の厳しい声がプールに響く。今までとは違う指導の仕方。厳しさが増して、肺が破裂しそうなギリギリまで追い込まれるけど、そんくらいじゃないと、ダメなんだ。 「ラスト一本」 「はい!」  ライフセーバーになりたいって決めたから。そこから睦月の指導が厳しくなった。速い泳ぎだけじゃない。事故を未然に防ぐことのできる強さもある泳ぎ方を教わってる。人を助けられる泳ぎ方。それと、自分のことも守れる泳ぎ方。人を守るだけじゃダメだから。自分のことだってちゃんと守らないといけない。  俺のことを大切に思ってくれる人のことも悲しませないために。 「よし。じゃあ、明日は旅行だろ? 今日は上がり」 「! ありがとうございました」  水の中を覗き込んだ睦月の言葉に気持ちがピョンと跳ねた。 「気をつけて帰るように」 「はい」  しんど。  水中でならそこまで感じない疲労が水から上がった途端、ずっしりと身体にのしかかってくる感じ。足元のエメラルドグリーンの床がボタボタ落ちる水で瞬く間にびしょ濡れになっていく。その場に座り込んだらもう立ち上がれなさそうなくらい。ちゃんと帰れるかな。太腿んとこがパンパンだ。 「お疲れ。お前、また肩周りしっかりしたなぁ」  睦月の声色が変わった。家族の雰囲気が出て、まだ肺が限界まで稼働してる忙しない呼吸を繰り返しながら顔を上げると、くしゃっと笑っていた。 「あ、うん」 「さっき、日向君来てたぞ」 「え?」 「ちょっとだけ見学してたけど、どこ行ったかな」 「マジで? 日向?」  慌てて周囲を見渡して、姿が見えないから、側に置いてあったTシャツとタオルを持って、外へ……って、コーチに挨拶し忘れてるって、また慌てて戻って一礼してからプールを後にした。まだ濡れてる髪が無駄に動き回る俺に合わせてピシャピシャと目元を濡らして邪魔っけだ。 「こら。プールサイド走るなっ」 「あ、はい! すみませんっ!」  ジュニアクラスの生徒が怒られそうなことを言われて、それでも気持ちが日向を探そうと、足を急かす。 「日向? どこ、ぁっ! 日向!」  プールからは見えない場所で背中を壁に預けて待っていてくれた日向を見つけて、手を振って呼ぶと、白い頬がピンク色になって綺麗だった。はにかんで笑ってくれる笑顔に、気持ちが上昇して。  そこで気がついた。  さっきまでしんどかったのに。帰りフラフラで途中でぶっ倒れるかもって思ってたのに。日向の笑顔にHPがあっという間に全回復していたことに。

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