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旅行編 5 若者ビーチ
水の奥底、足を伸ばしてももう地面に届かないくらいのところに来ると、ひんやりとしてて気持ちいい。プールの中では感じられない冷たさに、たまに足先で触れて、また少しだけ泳いで。
「伊都は水の中にいるとすごい気持ち良さそうにしてる」
「……そ?」
「人魚みたい」
でも、今日はそこまで沖には行かず、足の届く範囲で海水浴を楽しんでた。
「日向のほうが気持ち良さそう」
いや、眠そうなのかな。海の家で借りた特大の浮き輪から顔を出して日光浴をしてるけど、ふふふって笑って、水面に反射する光に目を細めた。
ちょっと沖に来ちゃってるかな。人が周りにいなくてゆったりはできるけど、ちゃんと注意してないとすぐに沖へと流されるから。でも、もう少し、ここでふたりっきりでいたい。あと、少しだけ。
「日向」
「んー? わっ、い、伊都?」
本当に寝てしまいそうな日向の入っている浮き輪の中へ、俺も海水の中を潜って入り込んだ。男ふたりでも余裕、ではないけど、入れる浮き輪の中。これだけ、大きな浮き輪だと流されやすくなるから。そろそろ、浅瀬へいかないと。
独り占めしてた場所に突然割り込まれて、驚いた顔が赤いのは少し日焼けしたのかもしれない。至近距離で覗き込むように見つめると、うろたえて、可愛かった。
「目、覚めた? 日向、色白いから、そんなに天日干ししちゃうと、肌真っ赤になっちゃうよ。休憩しに戻ろ。日焼け止め塗り直してあげる」
「え、そ、そんなの自分で」
「俺が触りたいの」
「ンっ……ん」
ここ、少し沖に来ちゃってるんだ。人が周りにいないし、静かだし。だから、少しだけ。大丈夫、少しくらいなら大きな浮き輪が俺たちを隠してくれるよ。
「ん、ン」
青空の下、波の音と君がキスの合間に零す甘い声。
「日向」
「ぁ、伊都……」
ね、少し、陽に当たりすぎだ。舌が、熱いよ。
「伊都……ン」
うっとりとした顔で俺のことを、そんな声で名前を呼ぶから、君としてる時のことを思い出してしまう。甘くて、優しくて、やらしい、日向との、そういうのを考えちゃって、たまらなくて、またキスをした。舌を差し込んで、日向の口の中で絡ませる。角度を変えながら、深いキスは止めずに、水の中が誰にも見えないのをいいことに、ぎゅっと抱き締めて、君の細い身体に密着した。
「ン、ぁ、伊都っ」
冷たい水の中、触れた君の身体が熱くて。それがやたらとドキドキさせて。
「も、伊都っ」
「……ごめん、日向」
一回戻ったほうがいいのに、戻れなくなった。
「ちょっと、泳いでくるから、日向はこっち」
「うわぁ!」
ライフセーバーを目指してるからさ。大きな浮き輪を片手で掴んで、泳ぎながら、日向だけ足の届く安全な場所まで引っ張って戻した。ここなら大丈夫。ほら、足を伸ばせば地面につく。
「ここで待ってて」
キスしたかったんだ。だから、そんな可愛い顔で怒らないでよ。好きな子にキスして抱き締めたら、さ。
「少し、その、落ち着かせるから、日向もそれじゃ上がれないでしょ?」
「い、言わないでいいってば!」
「そこから動かないでね!」
だからごめんって言ったじゃん。キスして、反応して、水から上がれなくなっちゃったのはお互い様だ。
「あんな顔する、日向も悪いでしょ」
ぼそっと、海に向かってぼやいてから、海の中に飛び込むようにして、思いっきり泳いだ。遠泳じゃなくて、短距離で波に負けない強くて早い泳ぎに集中する。
肩が硬いんだった。そう睦月に言われたっけ。もっと稼動域を広げないと。あとは……。
将来、自分がここで人を守れる人間になるための泳ぎ方。睦月に教わったことを思い出しながら、水を掻き分けて、足で蹴って、ただひたすら泳いでた。
やっぱ、もう少し地味な海岸とかにすればよかったかも。もっと小さくて地元の人が来そうなとこ。こんながっつり観光用の海岸じゃなくて。ここ、若い人多くない? いや、俺たちも若いんだけど。一回休憩をしに上がって周囲を見渡した。海の家で飲み物を買おうと並びながら警戒してる。
ほら、今の人とかさ、ちょっと遊んでそうで、田中さんをほうふつとさせるっていうか。
いや、田中さんは遊んでそうで、でも、しっかりしてる良い人だけど。
「伊都、泳ぎ方変わったよね」
「えっ? わかる?」
わかるよ、って答えながら、日向がクスッと笑った。
びっくりした。そんなことに気がつくのは、コーチングしてくれてる睦月くらいだと思ってたから。
「さっき、ひとりで泳いでるとこ、見惚れたもん」
「ぁ、ありがと」
普通に、照れた。気がつくほど、俺の泳ぎを知っていてくれてること、それと、見惚れたって言ってくれた時の日向の表情がすごくさ、すごく。
「海、楽しい」
「日向?」
「なんか、お祭りみたい」
「……」
日向は大人しそうに見えて、けっこう気さくで、けっこうノリがよくて、すごく元気だから、お祭りとか花火大会とかのイベント後ごとに目を輝かせる。図書館がすごく似合いそうなふわりとした印象とは、全然違う、明るくて本当に日向みたいにキラキラしてるから。
「日向は、まだ泳ぎたい? そろそろ部屋っ」
もうそろそろ波が高くなるかもしれないからさ、なんて、本当はまだ全然泳げそうだけど、ただ君に触れたくて作ったいい訳だ。ふたりっきりになりたいと、海風に濡れた細い髪が目元にちらつくらしくて、何度も瞬かせるから、思わず手を伸ばした。
「きゃっ!」
その時、何かが指に引っ掛かった、と同時に女の子の叫び声がした。咄嗟に手を引いたけど、それがまた悪かった。
「すみませんっ」
「あー……」
「すみません、何か」
「あー、いえ、これは……」
手がぶつかってしまった相手が砂浜に座り込んで、一つ溜め息をついてから、顔を上げた。目を丸くして、俺をじっと見つめて、俺は俺で、その子に驚いた。
真っ白い肌、少し色素の薄い髪、長い睫毛、大きい瞳。
日向に、似てたんだ。
「すみません。あの、何か」
「……壊れちゃった」
「え?」
「お気に入りのブレスレット、壊れちゃったんですけど」
「え? ぁ」
その子の足元にはキラキラ光る石が点々と散らばっていた。たぶん、さっき俺の指がひっかけたのがそのブレスレット。横を通り過ぎる彼女と、手を上げたタイミングが悪いことに一緒で、どうしてか引っかけて、引き千切ってしまった。
「ごめっ」
「ごめんって言っても、もう直らないし。だから」
見た目、日向にそっくりなのに。
「だから、ちょっと、新しいのを買うの、付き合ってよ」
中身は全く違っているのが不思議で、俺は、きょとんとしてしまった。
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