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ファイヤーサンダー 2 それぞれ、それぞれ
「うわ、ちょっと寒いね」
レストランを出るともうすっかり風が冷たくなっていた。その風に細い肩を竦めるととても儚げに見える。
いや、少しだけ、痩せたかもしれない。すごくたくさん食べても太らない日向が今日はパスタだけだった。サラダを一緒に食べたけれど、それ以外は何もデザートだって食べてない。
「日向、寒がりなのに、カーディガンとかは?」
「あ! 忘れてきちゃった。あー、あれだ。たぶん、教室のとこにあると……思う。あれ? 違うかな、お店かも」
「もー、風邪引くってば」
「ちょっ!」
このお洒落な服装が総崩れになるけど、風邪で寝込むよりはいいでしょ? 安物の、俺のニットだけど。
「ダッ、ダメだって! これ、伊都はどうすんの?」
「俺は平気。日向は知ってるでしょ? 俺が寒いのも暑いのも得意なの」
風邪なんて滅多に引かない頑丈さだって、君がきっと一番わかってる。
「……ダボダボ」
「!」
そこは、ちょっと計算外だったかも。まさか、ここでそんな萌え袖とか、さ。
「……伊都、大きいね」
「それを言うなら、日向、また痩せた?」
「えー、そんなことないよー。伊都が大きくなったんだ」
あぁ、すごく目の毒なんだけど。
「無理、してるんじゃないの? 今日も」
「ううん!」
日向が大きな声で即否定した。
けど、忙しくないわけがない。美容専門学校に通いながら、インターンシップのために、片道三時間近くかかる美容室にまで行ってるんだから。課題だってあるだろうに。
「目のとこ、ちょっとクマになってる」
俺が大学卒業したら、ライフセーバーのこと、将来なりたい職業のこと、そういうの考えたら海沿いに引っ越すから、だから、一足先に社会人となる日向は、海辺の美容室ばかりを就職先で選んでいた。だから、通うのはすごく大変で。それでなくても課題の多い分野なのに、寝る時間ちゃんと取れてる?
昨日、ちゃんと寝た?
「っ」
そっと、そーっと目の下瞼を指先でなぞってみせた。
「ぶ」
「ぶ?」
何? そう言いかけた言葉に首を傾げる。ぶ、ぶ?
「ブサイク?」
なんだろう、そう思ったけれど、きっとその単語はどう頑張っても出て来なかったよ。俺には予想外すぎた。ブサイクなんてさ。
「クマ、寝不足なんでしょ?」
「クマなんて最悪だ。ごめん、そのっ、ちゃんと」
「ブサイクなんかじゃないよ。ないけど」
ほら、やっぱり少し痩せてる。抱き締めたら、折れそうなくらい細かった。俺の服を着てるせいで逆に丸わかりだ。
「ないけど、あんま無理しないで」
「ん」
肩も細い、手首だって、折れてしまいそう。うなじのとこも、これじゃ強く抱き締めたら壊れそう。
キスをするのもそっとしてしまうほど。
「ちゃんとご飯食べて、ちゃんと寝て」
「……はい」
柔らかさは変わらない頬を両手でそっと包んで、今度はもう少しだけしっとりと唇を重ねる。もう秋よりも冬に近い寒さ、君の実家付近は人もまばらだから危険でもあるけれど、その反面、少しくらいだったら、キスだったら、許されるかなって。
「約束して?」
「……うん」
高校生だった頃は毎日君の顔を見ることができた。近くにもいられたし、君の全部を知ることもできたけれど、今、少しだけ遠くなった。
日向の会えたのは一週間ぶり。たかが一週間じゃん、かもしれない。けど、その前に会えたのは三週間ぶり。俺が秋の大会に向けて絞り込みをしてたから、あんまり会えなかったんだ。けど、結果は思ったほど上位にはいけず、そんなわけで身体を元から作り直すために食事から見直してる真っ最中。水難救助隊に入りたいのなら、並大抵の努力じゃダメなんだ。
だから、君にキスが出来たのはとても久しぶりな気がする。
「伊都こそ……」
「?」
「唇、ちょっとカサカサした」
「あ……ごめ」
しまった。柔らかい日向の唇にごわついた俺のそれはちょっと痛かっただろうって、慌てて身体を仰け反らせた。ごめん、忘れたんだ。リップ。
「伊都こそ、しんどくしないで」
「……っ」
唇を湿らせて、潤いをわずかに分けれてくれたのは日向の唇と、舌。
「伊都……」
その唇が離れる瞬間、そんな切なげな声で名前呼ぶのは、ちょっとさ。
「伊都」
ちょっと、反則だ。
「うち、寄っていく?」
甘えた声も、潤んだ瞳も、すっごく反則だってば。ズルいよ。触りたくておかしくなっちゃいそうじゃん。カサカサになるほど潤ってないのは唇だけじゃないんだ。もっとずっと、違うところも、もうけっこう我慢させてる。だから、こんなふうに触れられて、そんなふうに呼ばれたら、ショートしそう。
「今日は、ご飯だけ」
「えぇ? なんでっ?」
「もう時間が遅いから」
「!」
君の部屋なんて行っちゃったら、さすがに俺も理性が持つかどうか、怪しいとこだから。
「またね」
「……」
君のことをもっとしっかり抱き締めたいけど、休んでも欲しい。有給インターンなんて大変に決まってるのに、将来のためにって、二人で暮すためにって、ずっと険しい選択をそのか細い腕で選び続ける君のことを俺も大事にしたいんだ。
「ほら、着いたよ」
「……」
「まだお父さん達起きてる? 挨拶だけしときたいんだ」
「……多分、起きてる」
「そ? よかった」
君は俺だけの宝物じゃないから。
「こんばんは。夜分にすみません」
君はこの二人にとってもすごく大事な宝物だから。
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