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ファイヤーサンダー 3 はぁ

 ホテル、とかね。あるよね。もう高校生じゃないんだし。もしも、したいなら、そういう場所はちゃんとあるんだ。  あるんだけど――行ったことはない。 「……はぁ」  電車に揺られながら自分の手元に向かって、ひとつ溜め息を落っことした。その手を開いて握って、そして、抱き締めた時の日向の細さを思い出した。  なんか、また痩せちゃってたな。  職場からの課題も出てるって言ってたっけ。それでなくても通うだけでかなりしんどいのに。有給インターンっていっても、そうたくさんもらえるわけじゃない。片道何千円もかかるところにしょっちゅう行ってれば、交通費だけでもバカにならない。きっと大半が電車代で消えてしまう。  ――夏になったら、ライフセーバーのバイトのあとうちに泊まれるしさっ。あと二年後、伊都が大学卒業したらこっちに引っ越すんだもん。俺はその場所で就職を二年先になっちゃうけど決めとかないと。二年じゃ、まだ美容師として駆け出しだから、その時、又新たに職探し、っていうのは、きっと大変でしょ?  そう、だけどさ。そうなんだけど、今、現時点では日向にばっかり負担がかかってて、もどかしいんだ。君の細い手首が更に細くなってしまうような負荷ばっかりかけてる彼氏なんてさ。 「……」  不甲斐なさすぎる。  日向を送り届けて、ご両親に挨拶をして、そのままUターンをした時、寂しそうな顔をさせてしまった。  一緒にいたいよ。俺も。ご飯食べて近況を報告し合うだけじゃなくて、もっと……さ。  けど、早く帰って休んで欲しいとも思う。  早く半年が過ぎて欲しい。  そしたら、俺がいくらだって君のところに通うのに。君は待っててくれればいいだけなのに。 「……はぁ」  またひとつ溜め息を落っことした時だった。その手元で何の目的もなしにタイムラインだけをスクロールし続けたスマホがブルブル震えた。  ――こんばんはー! 元気に泳ぎまくってる?  玲緒からだった。  ――伊都、今月、誕生日でしょ? 晴れて、二十歳、おめでとうございます。ハロウィンだよね? そんでさ、飲み会を開こうかなって思ってて。そのハロウィンのある週末の辺りいかかですか?  玲緒は国際系の大学に通ってる。やっぱ、大学が違ってくると、予定はなかなか合わなくて、たまにこうしてメッセージのやり取りはあるけれど、そう頻繁に会うわけじゃない。まぁ、小学校の頃に戻ったような感じ、かな。あの時はスイミングがあったから、もう少し頻繁に会ってたか。けど、玲緒は玲緒で忙しいから。彼女は――。  ――あ、僕、彼女連れだけど、そっちはそっちで、日向来るんでしょ?  いる。あの、高校の時、マラソン大会当日ロマンチックに告白して、電車は大雪でストップ、散々だったらしいけれど、すっごい嬉しそうに笑顔で語った時から変わらず、彼女一筋。  ――場所は地元のバーでいいかなぁって、全員それが交通手段的に楽でしょ? 個室で、あ、仮装も。  ――あー、ごめん。  ――なんだよー。既読つけるだけつけて、あとで返信パターンかと思ってつらつら書きまくったじゃん。  仮装、ありなんだ? 俺の誕生日なんだか、ハロウィンパーティーなんだか。でも、とても楽しそうだ。楽しそうなんだけどさ。  ――その週はちょっと無理っぽい。  ――そっかぁ。  ――大事な用があるんだ。  そこで、玲緒が手を止めてるのがわかった。既読はつくけれど、返信はない。俺の次の言葉を待っているのか、何かを考えているのか、スマホの画面ではわからないけれど。  ――また、そのうち話すよ。ごめん。そろそろ電車降りる。そんじゃ。  うちの最寄駅の名前がアナウンスで流れ、スマホをカバンにしまう。駅からは自転車だからさ。  大事な用があるんだ。  まだ、伝えていないけれど、その日、どうしても会いたい人たちが、いるんだ。ずっと前から、自分の二十歳の誕生日に、って考えてたことが、あるんだ。 「ただいまぁ」 「あ、おかえりー……? あれ? 伊都、そんな薄着で行ったの? さすがに風邪引くよ?」  廊下にひょっこり顔を出したのは、父だった。もう四十三になるのにちっともおじさんっぽくならなくて、なんか、不思議なんだけど。あー、でも、最近立ち上がるの「どっこいしょ」って何度か言ってたから、まぁ、それなりに歳は重ねているんだろう。 「日向に貸した。寒そうだったから」 「そっか。日向君元気だった?」 「うん」 「あ、おかえり」 「……ただいま」  全く同じイントネーションで「おかえり」って言ってくれたのは、ちょうどお風呂から上がったばかりの睦月だ。 「……伊都? どうかしたか?」  この人は、この人で歳がわからない。いや、わかる、かな? 渋くなったと思う。うん。すごく。ほら、笑った時、目尻に皺が少し寄ってる。 「な、何?」 「……ううん。別に」 「ご飯食べて来るって言ってたっけ?」 「うん」  俺の憧れのヒーローで、こんなふうになれたらなって。 「あ、そうだ。伊都、ハロウィンのある週末、空いてる?」 「?」 「うちのスポーツクラブでハロウィンパーティー開くんだ。OBとして日向君と一緒に参加したらどうかなって。そんで、うちで誕生日パーティーでも」 「…………あー」  日向はうちに来るのすごく好きだから、きっと喜ぶだろうな。 「ごめん、その日はちょっと外せない用があるんだ」  そう、言いつつも、まだ、どこか明瞭じゃない返答に父も睦月も表情を曇らせた。 「ごめん、風呂入ってくる」 「あ、うん……いってらっしゃい」  言えてない、からさ。  言わないとって思うんだけど。今日、言えばよかった。きっと温かく迎えてくれると信じてる。 「……」  信じてるけど、やっぱ、どっか、ビビる。 「……はぁ」  君に負担ばかりを強いてしまう自分の選択を、良くは思っていないかもしれない。俺は睦月みたいに完璧なヒーローにはなれていないから。一番守りたい人の手首をあんなに儚げにしてしまうから。  少しビビって、頭からかぶるシャワーの滝と一緒に、またひとつ溜め息を足元に落っことした。

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