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ファイヤーサンダー 6 見えない君
――何してんの、俺。
そんな文句をもう何十回も自分にぶつけた。けど、そんなことしたってどうにもならない。
昨日の夜、玄関先で別れてから、お互いになんの連絡もしてなかった。日向は朝から専門だったし、明日は美容院までいかないといけない。片道二時間半かけて、合計五時間の小旅行みたいな道のりだ。
そんな忙しい中で俺からの言い訳じみたメッセージを送って、読んで、返信、なんて手間を。
「あ、あのぉ、大学の人ですか?」
「……」
「す、すみません。事務局がわからなくて」
大学構内を歩いていると、とても声をかけずらそうに、顔を引きつらせながら呼び止められた。そこには誰も他に頼れそうにないから仕方がないと二人、男子高校生が学校案内を握り締めて立っていた。
「あのぉ……」
「あ、あぁ、ごめん。事務局はもっと手前で右に曲がるとあるよ。通り過ぎてる。そこの銀杏の木のところを曲がるんだ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「どういたしまして」
一人は背が高くて、身体もしっかりしてた。スポーツをやってそうな感じ。もう一人は細くて白くて。
お世辞にも運動得意、とは言えない華奢な子だった。
その華奢な子が握り締めていた学校案内を開いて、二人で覗き込んで「ほら」ってぼやいたのが聞こえた。どうやら、大きい子のほうが道を間違えたのかもしれない。身体の大きさとは逆にしっかりしてるのは華奢な子らしい。
ふたりは笑って、たまに離れて、くっついて、遊びながら歩いていく。
「そこ、曲がるんだってば」
小さく呟いたのとほぼ同時、大きな子のほうが華奢な子を引っ張って、銀杏の手前で右に曲がった。そして、慌てて、華奢な子が学校案内を広げ、確認してる。。
「……」
そんな二人を少しだけ、うらやましい気持ちで見送った。
ずっと、同じ道を並んで歩いていたら、あんなふうにできてたかなって。そう思って、胸のところがギシギシと硬くひずんだ音を立てた気がした。
遠くに感じたんだ。
俺だけ置いてけぼりになった気がした。
日向のことをすごく遠くに。仕事して、専門学校行って、眠くてヘトヘトでも、いつでも優しい声で俺に語りかける日向がやたらと大人に見えた。俺のいない世界で、俺よりもずっと大人でさ。まるで父と睦月みたいに。
「おかえり~」
「……ただいま」
「あれ? もしかして、風邪?」
いつもと変わらない父が顔を出した。けど、その顔半分はマスクで覆われている。
「移っちゃったかなぁ」
そう言って、コホコホと小さな咳をする。
「父さんこそ、風邪?」
「そー、でもまだ大丈夫。熱なし、関節の痛みなし、咳のみ」
「なんか、買ってこようか?」
「んー、平気、睦月に頼んだから」
「ただいま~」
「おかえり~」
長年一緒に暮してるから、かな。本当にこういう口調がそっくりなんだ。睦月がビニール袋を提げてジャージ姿で帰ってきた。
「大丈夫? これ、頼まれてたの。と、あと、スポーツ飲料ね」
「ありがと」
父の額に掌を重ねて熱があるって怒ってる。今さっき熱がないと言ったばかりの父は「あれ?」なんて言って笑った。
「本当に、秋の決算棚卸しがあったからって、無茶したんでしょう?」
「えー? してないよ」
「風邪、俺のが移ったのかな」
「そうだし」
「じゃあ尚更だ」
そういえば、先週は睦月が咳してたっけ。しんどそうにしてて、その時は父が看病してた。夜中に何度か咳の音と一緒に二人の話し声が聞こえてた。何を話しているのかまではわからなかったけれど、ぼそぼそと低く優しい子守唄みたいな穏かな会話だった。
「俺がうどん作るから、ちゃんと寝ててください」
「はーい」
やっぱ、このふたりも喧嘩とかするのかな。別の仕事。睦月は身体を動かしつつ、人に接することの多い仕事だから、自分の都合がままならないことだってあると思う。父は経理とかだから一日中数字と睨めっこ。それはそれで、けっこうなストレスだと、事務のバイトをしながら思ったんだ。
――ダメ?
――友だちは大事にしたほうがいいよってこと。
――女の子もいたっていうから断った。
お互いに疲れてて、お互いに気持ちがささくれ立ってて、言葉が硬くて冷たい会話をしたことあるのかな。
「風邪、流行ってるみたいだから、伊都も気をつけて。日向君もね」
「あ……うん」
――けど、今度は男だけの飲み会って言ってた。
――うん。行けたらね。
――俺、伊都のことっ。
「伊都?」
「! あ、うん」
あの日の言葉を思い出していた俺は覗き込まれてハッと、顔を上げる。
「大丈夫? 伊都もやっぱり風邪?」
「ううん。ごめん。なんでもない」
俺たちみたいに、父さんたちも喧嘩をしたこと、あるのかな。
『この前はごめんね。今日も美容院に行くので帰りが遅いけど、伊都はちゃんと寝てください』
そんな連絡が喧嘩したあの日以来はじめて来た。
その間、丸二日連絡はなかった。喧嘩をしたから、俺も課題と事務のバイトが月末で忙しかったから。日向だって、すごく急がしいだろうし。
そしたら、日向から手を差し伸べてくれた。俺は、どう返そうかって、迷って言葉を探してるうちにまた時間が経ってしまって。
仲直りのメッセージ、か。
この数日、日向にとっても、自分の中にある気持ちの棘を引っこ抜くための数日だったのかもしれない。けど、そうじゃないような気がしたんだ。
なんでだろう。
なんでかな。たぶん、君が「伊都は」って言ったから。「伊都も」じゃなくて。自分のことはいいから、俺にちゃんと寝て体調気をつけてって。
今、思った。
喧嘩なんて睦月と父さんたちだって、きっとあったと思うんだ。人間だからさ。俺も日向も人間で、笑って泣いて怒る。イライラだってする。風邪だって引く。
あの夜、日向は何を言おうとしてたんだろう。
――けど、今度は男だけの飲み会って言ってた。
――うん。行けたらね。
――俺、伊都のことっ。
あの時、日向のほっぺたは本当に玄関の明かりのせいで赤かったのかな。
別々の生活がある。高校生の時みたいに、ずっとくっついてなんていられないから、わからないことなんてさ、たくさんあるんだ。俺に君の全部が見えないように、君にも俺の全部は見えなくて。そんなん、イラっとするじゃん。
「あ、おーい、佐伯―、今日は飲み会来れない? 男子飲み」
「ごめん! 今から、仲直りなんだ」
「へ? ……あぁ、彼女と? がんばれー」
「ありがとうっ!」
君のことがとても好きだから、そりゃ、イラッとしちゃうじゃん。それでも好きな人だから、こうして開いてる距離の分、お互いのことが見えない日数分、近くにいきたいってがむしゃらになって、走るんだ。
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